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1月16日は禁酒の日

 

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今日は何の日?

1月16日は禁酒の日

 

1920年、アメリカで禁酒法が実施された日です。


プロテスタントの影響が強かったアメリカではこれまでに18の州で禁酒法が実施されていましたが、この日からアメリカ全土に施行されました。


ところが、健康へ悪影響を及ぼす密造酒の横行や、ギャング出現の引き金にもなりました。

 

 

アメリカ合衆国史における禁酒法は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律です。

 

 

禁酒運動による相当な圧力の下で、米国上院は1917年12月18日に憲法修正第18条を提出しました。

 

1919年1月16日に3/4の州(当時は36州)による批准が完了して憲法修正条項が成立し、翌年1月16日に施行されました。

 

 

いくつかの州議会では憲法修正第18条の批准の前に、州としての禁酒法を既に立法化していました。

 

ボルステッド法(正式名:国家禁酒法)はウッドロウ・ウィルソン大統領が拒否権を発動するも、1919年10月28日に議会が再可決し、「酔いをもたらす飲料」を法的に定義して、憲法修正第18条で規制の対象とするアルコール飲料を定めました。

 

一方、ボルステッド法はアルコール販売を禁止しましたが、法律を強制することはほとんど行われませんでした。

 

違法な酒の流通および無許可での製造販売は激烈になりましたが、アメリカ合衆国連邦政府にはアメリカ合衆国全ての国境、湖、河川および秘密酒場で法執行を強制する手段も意志もありませんでした。

 

実際にはニューヨーク市単独でも、30,000 - 50,000軒もの違法な酒場(スピークイージー)が至るところにありました。

 

特に都市部においては禁酒法は世界恐慌の間、次第に不興を買うようになりました。

 

1933年3月23日に、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ボルステッド法のカレン=ハリソン修正案に署名しました。

 

そして、特定の種類のアルコール飲料の製造・販売を許可しました。

 

1933年12月5日に、米国憲法修正第21条は修正第18条を廃止しました。

 

 

 

1920年まではマフィアの主な活動はギャンブルと窃盗に限られていましたが、禁酒法時代には無許可で酒を製造販売することで繁栄しました。

 

マフィアの資金源となったアルコールの闇市は栄えましたが、暴力沙汰も頻繁に起こり、売春が跋扈しました。

 

強大なギャングは法執行機関を腐敗させ、最終的には恐喝するまでになります。

 

ギャングは酒の密輸で利益を上げ、より強い酒の人気が急騰しました。

 

禁酒法を実施するための費用も重大な問題となりました。

 

本来アルコールの税金で毎年5億ドルの税収がありましたが、これが無くなった事で、アメリカ合衆国連邦政府の財源に悪影響を及ぼしました。

 

禁酒法は1933年に廃止されたことで、これら犯罪組織は安価なアルコールとの販売競争に敗れ、多くの州で、闇市でのアルコールの売り上げを失いました。

 

また禁酒法は、アメリカのアルコール醸造業に顕著な影響を及ぼしました。

 

禁酒法が廃止された後、かつて存在していた醸造所の半分だけが営業を再開しました。

 

禁酒法以後は今日バドワイザーやクアーズなどに見られるような米国で主流となっているアメリカンラガースタイルのビールが導入されました。

 

アメリカ各地に存在していたウイスキーの蒸留所も禁酒法時代にその大半が操業停止し(一部は医療用ウイスキーの製造認可を得て細々と活動していました)、そのほとんどが禁酒法廃止後に営業再開できませんでした。

 

またワイン歴史家は、禁酒法がアメリカの未熟なワイン産業を壊滅させたことを書き留めています。

 

生産性の高いワイン品質のブドウの木は、家庭醸造用販売のため、輸送に適した実の皮の厚い低級品質の品種と取り替えられ、禁酒法時代の間に、ワイン醸造者は他国に移住したり廃業してしまったため、ワイン業界の知識の多くも失われました。

 

 

禁酒法の終わりに、一部の支持者は率直に禁酒の失敗を認めました。

 

富豪にして実業家のジョン・ロックフェラー2世によって書かれた手紙の引用には、こう書かれています。

禁酒法が提出された時、私はそれが大衆の意見によって、広く支持される日が来ることを望みました。そして、アルコールの凶悪な影響が認められる日が、すぐに来るだろうと思いました。しかし、これが私の望んだ結果ではないと、不本意ながらも信じるに至りました。

飲酒はむしろ増加しました。不法酒場がサロンに取って代わりました。犯罪者の巨大な群れが現れました。我々の最高の市民の多くでさえ、禁酒法を公然と無視しました。法律の遵守は大いに軽んじられました。そして犯罪は、かつては決して見えない水準にまで増加しました

— ジョン・ロックフェラー2世

 

 

 

禁酒法が再び成立するという可能性を減らす方法として、アルコール産業が禁酒法廃止の数十年後に、より強力なアルコール規制を受け入れた、と一部の歴史家は述べています。