今日は何の日
10月7日はミステリー記念日
1849年、ミステリー小説(推理小説)の先駆者・エドガー・アラン・ポーが亡くなりました。
1845年に発表された『モルグ街の殺人』が、世界初の推理小説と言われています。
エドガー・アラン・ポーは、アメリカ合衆国の小説家、詩人、評論家です。
マサチューセッツ州ボストンに生まれました。
両親を若くに失って商人ジョン・アランとフランシス・アランの夫婦に引き取られ、幼少期の一時期をロンドンで過ごしました。
帰国後17歳でヴァージニア大学に進ました。学業成績は極めて優秀でした。
すぐに詩人として認められますが、賭博師、大酒飲みの悪名を高め、ジョン・アランと賭博の借金が原因で仲たがいになり退学します。
その後、家を出て陸軍に入隊。いったん除隊してジョン・アランとのよりを戻し士官学校に入学しました。
しかし、その学校は自分に合っていないと知り、規則違反を犯し、退学処分。
文筆で身をたてるべく詩や短編小説を創作しはじめました。
ゴシック風の恐怖小説「アッシャー家の崩壊」「黒猫」、初の推理小説と言われる「モルグ街の殺人」、暗号小説の草分け「黄金虫」など多数の短編作品を発表、また1845年の詩「大鴉」でも評判を取りました。
1833年、当時まだ13歳だった従妹ヴァージニア・クレムと結婚しますが、1847年に貧苦の中で結核によって彼女を失い、その2年後にポー自身も謎めいた死を遂げています。
ポーはアメリカにおいて文筆だけで身を立てようとした最初の著名な作家でしたが、文名を得てからもその生活はほぼ常に貧窮の中にありました。
その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与しました。
またポーが「モルグ街の殺人」で作り出したC・オーギュスト・デュパンの人物像は以後の推理小説における探偵の原型となっており、ポーは近代推理小説の開祖とみなされています。
そのほか科学的知見を取り入れた『アーサー・ゴードン・ピムの物語』などの冒険譚はジュール・ヴェルヌら後世のSF作家にも影響を与えています。