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12月26日はプロ野球誕生の日

 

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今日は何の日?

12月26日はプロ野球誕生の日

 

1934年12月26日、東京・丸の内の日本興業倶楽部で大日本東京野球倶楽部の設立総会が開かれ、日本初のプロ野球チームが誕生しました。


これが、読売巨人軍の前身です。


当時の主力選手は、同年の日米野球などでも活躍したメンバーでした。


この日は、「ジャイアンツの日」とも呼ばれています。

 

 

プロ野球とは、野球のプロフェッショナルスポーツ(プロスポーツ)形態を指す言葉です。略さずに「プロフェッショナル野球」とも言います。

対義語は「アマチュア野球(アマ野球)」です。英語では「professional baseball」と表記されます。

 

日本においては、特に日本野球機構(略称:NPB)によって統括されているリーグ(日本プロ野球)と米国、カナダで主に行われるメジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)を指しますが、単純に「プロ野球」とのみいう場合はNPBを表す場合が多いです。

 

また、1950年代あたりまでは、職業野球と呼ばれていました(日本最初のプロ野球機構も1938年までは「日本職業野球連盟」でした)。

 

女子野球のプロスポーツ形態については女子プロ野球と呼ばれます。

 

 

読売ジャイアンツ(読売巨人軍)は、日本のプロ野球球団。

 

セントラル・リーグに所属しており、日本に現存する12球団の中で最も歴史が長いプロ野球球団でもあります。

 

現在の監督は高橋由伸(第18代)、キャプテンは坂本勇人(第19代)。

 

親会社は読売新聞グループ本社、運営法人の商号は「株式会社読売巨人軍」。東京都を保護地域としています。都内文京区にある東京ドームを本拠地とし、専用球場としています。

 

また、二軍・三軍はイースタン・リーグ(三軍はホテルルートインBCリーグ交流戦にも参戦)に所属しており、本拠地は神奈川県川崎市多摩区にある読売ジャイアンツ球場です。

 

 

日本の野球の歴史は、1871年に来日した米国人ホーレス・ウィルソンが当時の東京開成学校予科(その後旧制第一高等学校、現在の東京大学)で教え、その後「打球おにごっこ」という名で全国的に広まったことに始まります。

 

従って、日本国内の野球の創世記の歴史は、そのまま大学野球の創世記の歴史と重なっています。

 

なお、ホーレス・ウィルソンは2003年、その功績から日本野球殿堂入り(新世紀表彰)しています。

 

ただし野球を「試合」と定義すると明治6年4月下旬,開拓使仮学校で既に始められていた可能性があるそうです。

 

ウィルソンが試合を始めたのは開成学校に運動場が完成した明治6年8月以降のことだそうです。

 

1878年、平岡ひろしが日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を設立し、1882年駒場農学校と日本初の対抗戦を行いました。

 

なお記録上で日本ではじめて国際試合を行ったのは青井鉞男が投手時代の旧制一高ベースボール部で、1896年5月23日、横浜外人居留地運動場で横浜外人クラブと対戦し29対4で大勝しました。

 

また、記録上で日本ではじめて米国人チームと試合を行いました(日米野球)のも同部で、同年6月5日、雪辱戦として横浜外人クラブから試合を申し込まれ、横浜外人居留地運動場で当時の米国東洋艦隊の選りすぐりによるオール米国人チームと対戦し32対9で連勝しました。

 

急速な人気の高まりから、野球に対して賛否両論が巻き起こることもありました。

 

1911年に東京朝日新聞が「野球と其害毒」と題した記事を連載し、野球に批判的な著名人の談話などを紹介しましたが、これに対して読売新聞などが野球擁護の論陣を張り、次第に野球に対するネガティブ・キャンペーンは沈静化していきました。

 

大学野球の盛り上がりは高校(旧制中学)にも広がり、1915年8月に大阪の豊中球場で第1回全国中等学校優勝野球大会が開催され京都二中が優勝。

 

第3回大会からは兵庫の鳴尾球場で開かれましたが、観客増により手狭になったため1924年からは阪神電車甲子園大運動場で行われることになりました。

 

また夏の大会の盛況をうけ、同年春からは名古屋市の山本球場で全国選抜中等学校野球選手権大会が開催され、翌年からは甲子園球場で行われました。

 

1927年には企業チームによる都市対抗野球大会が明治神宮野球場で開かれました。

 

 

1920年、早稲田大学野球部OBらによって日本初のプロ野球チーム日本運動協会(芝浦協会)が、1921年には天勝野球団が創設されましたが両球団とも後に解散。

 

1934年、読売新聞社の正力松太郎によって大日本東京野球倶楽部が創設され、1936年には日本初のプロ野球リーグ日本職業野球連盟が設立されました。

 

 

「ベースボール」を、初めて「野球」と日本語に訳したのは、第一高等中学校(1894年、第一高等学校に改称。

 

第二次大戦後の学制改革の際に東京大学に併合され、新制東京大学教養学部になる)の野球部員であった中馬庚です。

 

1894年、彼らが卒業するにあたって部史を刊行することになり、中馬の書いた文章中に「野球」が登場しています。

 

逸話として、同僚で名投手の青井鉞男が「千本素振り」をやっている所に中馬がベースボールの翻訳を「Ball in the field-野球」とすることを言いに来たと言われています。

 

 

明治期の俳人で、1889年に喀血してやめるまで捕手として好んで野球をプレイした正岡子規が翻訳したという俗説がありますが、これは間違いだそうです。

 

なぜなら、1896年新聞「日本」で連載した子規の随筆『松蘿玉液』のなかで、「ベースボールいまだかつて訳語あらず」と書いているからです。

 

この俗説は子規が自らの幼名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いていたことが誤解されたものと考えられています。

 

子規は「野球(のぼーる)」という雅号を1890年に使い始めています。

 

これは中馬が「ベースボール」を「野球」と翻訳する4年前のことです。

 

つまり、「野球」という表記を最初に使用したのは子規ですが、「ベースボール」を「野球」と最初に翻訳したのは中馬です。

 

しかし子規は野球用語を数多く翻訳しており、2002年にはその功績によって日本野球殿堂入りを果たしました。