今日は何の日?
7月30日はプロレス記念日~!
1953年、力道山が中心となり日本プロレスリング協会が結成されました。
力道山は1952年年2月3日、プロレス修行のためハワイへ出発します。
その後、アメリカ太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国、同協会を設立しました。
プロレスは、リング上で主に観客へ見せる事を目的とした攻防を展開する、格闘技を基本としたスポーツの事です。
正式名称はプロフェッショナルレスリング、興行レスリング、職業レスリングとも呼ばれます。
アメリカなどでは単にレスリングと呼ばれる事が多く、メキシコでは「ルチャリブレ」、ヨーロッパでは「キャッチ」と呼ばれています。
プロレスは古くは西洋相撲と呼ばれていました。
プロレスは明治時代から興行として存在していたものの、なかなか集客は出来ず、人気のあるものではありませんでした。
しかし、1951年に大相撲力士から転身してプロレスラーになった力道山がデビューして、1953年に力道山が日本プロレスを旗揚げしてから状況が変わります。
1950年代の日本は戦後間もない頃で、多くの日本人に反米感情が根強く残っており、力道山が外国人レスラーを空手チョップで痛快になぎ倒していく姿は、人々に勇気を与えて心を大いに掴んで大人気となりました。
それまで人気のなかったプロレスは力道山の活躍により、プロ野球、大相撲と並んで国民的な人気を獲得するまでになりました。
当時はテレビが一般的に全く普及していなかった事から、街頭に置かれたテレビにはたくさんの人が群がり、食い入るように力道山の試合を観ていたそうです。
プロレスはアマチュアレスリングよりも歴史は古く、近代オリンピック以降ルールをスポーツとして整えた際に大きく枝分かれしています。
1896年第1回近代オリンピックアテネ大会で行われたレスリングは当時のプロレスルールで行われていました。
その起源はイギリスのランカシャー地方のランカシャーレスリングにあると言われています。
アマチュアレスリングのグレコローマンスタイルを賞金マッチで行ったものがアメリカで行われていた記録もあり、もう1つのプロレスのルーツとなっています。
日本のプロレス団体における特徴のひとつとして現役レスラーまたは引退したレスラーが社長業を兼務するというものがあります。
これは日本のプロレス団体運営システムの始祖である力道山から始まった形式です。
日本プロレスから派生した新日本プロレス、全日本プロレスもこの形式を踏襲したほか2017年現在もプロレスリングZERO1、DRAGON GATE、WRESTLE-1、DDTプロレスなど、この形式を取る団体は少なくありません。
プロ野球選手などのスポーツでは、アマチュアからプロに転向しており、アマチュアの過程を飛ばしてプロになる事はまずありえません。
しかし、プロレスに限ってはアマチュア出身の選手はあまりおらず、力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木などもアマチュアレスリング出身の選手ではありません。
これはアマレスとプロレスがあまりにルールが違い過ぎるからだとされています。
基本的にアマレスとプロレスは組み合ってダウンを奪う事に変わりはありませんが、プロレスには打撃技もあり、時には凶器攻撃も可能となっているからです。
ちなみに長州力、三沢光晴、ジャンポ鶴田はアマレス出身者です。