今日は何の日?
12月1日は映画の日
映画産業団体連合会が1956年に制定した記念日です。
1896年11月25日、神戸で日本初の映画の一般公開が開始され、この会期中のきりのいい日を記念日としました。
エジソンが発明したキネトスコープを使って映写されました。
映画とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するものです。活動写真、キネマ、シネマとも呼ばれます。
なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれています。
映画という語の本来の意味は「画を映すこと」あるいはそうして「映された画」ということです。
そのため、近世末期においては写真と同義に用いられていました。
そこから転じて、「(スクリーンなどに)画像を映し出すこと」や「映し出される画像」、さらに長いフィルムに撮影された「動きのある画像」に対しても用いられるようになっていきました。
なお、『日本国語大辞典第二版』における映画の項目には、以下のように記載されています。
カメラなどで映し撮ること。また、その画像。
明治時代、幻灯で映写する画像やフィルムのこと。
フィルムにより高速度(標準一秒間に二四こま)で撮影した画像を映写幕に連続投影し、見る者に連続した動きを見ているような感じを与える仕組み。活動写真。キネマ。シネマ。ムービー。
「活動写真」は英語「motion pictureモーション・ピクチャー」の直訳語で、元来は幻灯機のことを指しますが、後に意味が変じて、映画を指すようになりました。
「シネマ」は、フランス語の「cinemaシネマに由来する語で、映画の意味です(現在の口語フランス語では映画作品をfilmフィルム と呼び、cinema は映画館の意味です)。
語源はギリシア語の「κινηση(「動く」という意味です)」。
リュミエール兄弟が開発したシネマトグラフの「シネマト」から派生したと言われています。
アメリカではアート作品を「シネマ」と呼び、娯楽作品には「ムービー」と区別して呼ぶ傾向があります。
戦前の日本では、映画は「キネマ」とも呼ばれました。
当時から続く映画雑誌(『キネマ旬報』(キネマ旬報社)など)にこの名前が残っている他、懐古的な情緒が好まれる時にも用いられています。
トーマス・エジソンによって1891年に発明されたキネトスコープが世界的な映画の起源となりますが、それを用いて日本で最初に上映がなされたのは1896年11月で、当時の西洋技術の最先端である映画が到来した年にあたります。
日本人による映画撮影としては1898年の浅野四郎による短編映画『化け地蔵』『死人の蘇生』に始まります。
ここから現代に至るまで日本映画は日本文化の影響を強く受けつつ、独自の発展を遂げ、日本を代表する大衆娯楽のひとつとして位置付けられていきました。
映画館が普及して以降、一般的に映画というと専用施設(映画館等)の中でスクリーンに投射して公開する作品を指すことが多いです。
ただしその撮影工程は特に問われません。20世紀に大きな発展を遂げた表現手段であり、映画は今や芸術と呼ぶべき水準に達しています。
また、古来からの芸術である絵画、彫刻、音楽、文学、舞踊、建築、演劇に比肩する新たな芸術として「第八芸術」ないし、舞踊と演劇を区別せずに「第七芸術」とも呼ばれます。
また、映像やストーリー、音楽など様々な芸術の分野を織り交ぜてひとつの作品を創造することから「総合芸術」の一種としても扱われます。
日本映画の父と言われたマキノ省三によると、映画には三要素があり、『スジ・ヌケ・ドウサ』の順であるとしました。
スジは脚本、ヌケは映像美、ドウサは役者の演技を指します。
表現の対象とする分野からは大きく、フィクションとノンフィクションに大別されます。
上述したように、映画は映画館等の専用施設で上映されることを前提とした表現様式ですが、最初からテレビでの放映を目的に映画フィルムで撮影される映画作品もあります。
このような作品をテレビ映画と呼び、1960年代のアメリカではテレビ番組の主力として西部劇やホームドラマが多く製作されました。
これらはアメリカにおいて広く鑑賞されましたが、日本にも数多く輸入され、特にホームドラマは日本の生活文化に無視できない影響を与えました。
ただし、この種のものが今日の日本で新しく撮影・製作されることはまれです。
また、劇場公開されず、ビデオテープ等の媒体に収録されて販売・レンタルの対象となる作品をビデオ映画、オリジナルビデオ等と呼びます。
近年は、ブロードバンドの普及を始めとした動画配信の方法が発達したことや、時代背景の変化などにより、これまで映画と呼ばれてきた作品の種類や範囲が多様化してきています。
写真フィルムで撮影した素材をデジタル化し、加工・編集する技術も20世紀末以来、用いられるようになりました。
21世紀に入ってからは、HD24p等のデジタル機器で撮影、編集され、その後フィルムに変換されたうえで劇場に納品される音声情報も映画館の多チャンネルサラウンド化に伴い、フィルムに焼き付けずにCD-ROMなどで納品される場合が増えてきました。
ただし、いくつかの例外があります。
資金面で余裕のあるハリウッドメージャーの場合、映画や大型テレビドラマは未だ35mmフィルム撮影の方が圧倒的に主流です。
一方、日本のテレビドラマ製作会社はデジタル化以前にアナログ磁気テープ方式のビデオテープレコーダー(ベータマックス)収録に切り替えられ、一部の時代劇のみがセットの質感をぼかすために35mmフィルム収録として残っていきましたが、それも最後まで採用していたナショナル劇場枠の作品(『水戸黄門』など)がデジタル収録化以前にVTR収録に切り替えられ、HDTV規格での収録に切り替えられるまで用いられました。
1990年代以降、地上波テレビでの映画の放送は減少傾向にあるが、BS・CSでの映画の放送はむしろ増加傾向にあります。
2010年代以降、Netflixが大量の"オリジナル映画"を製作し日本を含む世界各国で配信するようになりました。
これらの作品は、劇場では公開されずに、直接ネットにより配信されます。
Netflixでは、ストーリーのある作品のうち、複数エピソードにわたるものを「テレビ番組・ドラマ」(英語ではTV Shows)と呼び、1エピソードだけのものを「映画」(英語ではMovies)と表記しているため、Netflixの"オリジナル映画"のほとんどは、日本では単発ドラマあるいは二時間ドラマのジャンルに属する、テレビ映画であるとも言えます。
これらの"オリジナル映画"が映画祭に出品されることが増えて論議を引き起こしています。
カンヌ映画祭では、これらの"オリジナル映画"を審査対象から外すため、2018年度からはフランスの映画館で上映された作品のみを審査対象とすると決定し論争となりました。
以前からテレビ映画のジャンルが活発であるアメリカでのアカデミー賞やゴールデングローブ賞映画部門などの映画賞は、応募資格を映画館で上映すること、あるいはペイパービューで配信する事などと限定してテレビ映画を排除しています。
一方で、アメリカのエミー賞やゴールデングローブ賞テレビ部門などのテレビ番組賞には、テレビ映画を対象とする賞が別枠で設けられています。
映画は19世紀に生まれ、20世紀に大きな発展を遂げた、いわば新しい芸術です。
しかし、20世紀から21世紀にかけての科学技術や産業の大きな発展、社会の変容を受けて、今の映画はリュミエール兄弟が発明した当時とは大きく異なる様相を見せています。
映画表現において大きな画期となったのは、1920年代の「トーキー」の登場、それに続いて行われたいわゆる「総天然色」映画の登場が数えられます。
これらはそれぞれ、それまでの映画の形式を最終的には駆逐するにいたりました。
例えば、今では「トーキー」以前の形式である「サイレント」が新たに発表されることはほぼありません。
また、今「モノクローム」で撮影された映画が発表されることは極めてまれです。
20世紀前半に行われたこれらの映画技術の進展とは異なり、20世紀後半の映画技術の発展は映画表現の多様性を増す方向に作用しました。
戦後、普及した映画の撮影技法には、例えば「特殊撮影」「アニメーション」「コンピュータ・グラフィクス」が挙げられます。
これらの新たな撮影技法は、それ以前の方法を駆逐することによって普及したのではなく、それが登場する以前の撮影技法と共存しつつ独自の分野を成す形でそれぞれの発展を遂げています。
1970年代からはVTRが普及しましたが、フィルムとビデオとの基本的な表示方式の違いから映画は35mmフィルムによる撮影が一般的でした。
21世紀に入った頃から商業作品もデジタルビデオカメラで撮影され、フィルムを使わずコンピュータ上で編集される例が増加しています。