今日は何の日?
9月29日は招き猫の日
「くる(9)ふ(2)く(9)」(来る福)の語呂合わせから、日本招き猫倶楽部と愛知県瀬戸観光協会が記念日に制定しました。
この日を中心に、伊勢の「おかげ横丁」の福招き猫まつりをはじめ、日本各地で記念行事などが開催されます。
左手を上げているのが人を招く、商売繁盛、また縁結びにご利益があるメス猫です。
右手を上げているのが福を招く、家内安全、また金運や幸福にご利益があるオス猫です。
また、両手を上げている招き猫もおり、両方を招くといわれていますが、欲張りすぎると「お手上げ万歳」になるのが落ちだと嫌う人が多いようです。
両手を上げている招き猫の性別は不明だそうです。
招き猫の由来には諸説あるようです。
まず、豪徳寺(東京都世田谷区)が発祥という説です。
江戸時代に井伊直孝が荒れていた豪徳寺の前を通りかかると、豪徳寺の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたため、立ち寄って休憩しました。
お寺の和尚にもてなされ、説法をしている時に雷雨になりました。
雨を避けられたうえに、ありがたい話も聞けた事を喜んだ直孝は、後日、豪徳寺を立て直すために多額の寄付をし、そのおかげで豪徳寺は盛り返したそうです。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて弔いました。
後生に境内には招猫堂が建てられ、猫が片手を上げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになったというものです。
この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺(ぼだいじ)になったといわれています。
幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓も豪徳寺にあるそうです。
また、同じ豪徳寺にもうひとつの諸説があります。
直孝が1本の木の下で雨宿りしていたところ、1匹の三毛猫が手招きしていました。
直孝が猫に近づくと、雨宿りしていた木に雷が落ちました。
それを避けられた事を感謝し、直孝は豪徳寺に多くの寄付をしたというものです。
これらの猫をモデルとしたキャラクターが、井伊家と縁の深い彦根城の築城400年祭マスコットの「ひこにゃん」です。
豪徳寺の境内で販売している招き猫は全て右手を上げ、小判を持っていません。
これは井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、武士にとって左手は不浄の手のためです。
そして、小判を持っていない理由は「招き猫は機会を与えてくれるが、結果までついてくるわけではなく、機会を生かせるかは本人次第」という考えからだそうです。
次に、自性院(東京都新宿区)が発祥という説です。
江古田・沼袋原の戦いで、劣勢に立たされて道に迷った太田道灌(おおたどうかん)の前に猫が現れて手招きをし、自性院に案内をしました。
これをきっかけに盛り返すことに成功した道灌は、この猫の地蔵尊を奉納したことから、猫地蔵を経由して招き猫になったというものです。
自性院にも、もうひとつ説があります。
江戸時代中期に、豪商が子供を亡くし、その冥福を祈るために猫地蔵を自性院に奉納したことが起源であるというものです。
次に、今戸神社(東京都台東区)が発祥という説です。
江戸時代末期に、老婆が貧しさから愛猫を手放してしまいました。
その後、夢枕にその猫が現れ「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言いました。
老婆は今戸焼の焼き物にして、浅草神社鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったというものです。
ほかにも、伏見稲荷大社(東京都豊島区)が発祥の地とする説や、西方寺(東京都豊島区)起源説、法林寺(京都市左京区)起源説、金山寺(岡山県岡山市)起源説、住吉大社(大阪市住吉区)起源説、民間信仰説などいくつも説があります。
いずれが正しいかは判然としないそうです。
また、招き猫のモデルは、毛づくろいの動作ではないかという説もあるそうです。
さて、それでは今日は4コマ漫画「こうですか?わかりません」の特別編をお届けしたいと思います。
招き猫といえば、「こうですか?わかりません」の漫画キャラクターに福さんがいますので、久しぶりに登場していただきましょう。
福さんは本当におちゃめさんですね。
おしまい。