今日は何の日?
7月23日は米騒動の日~!
米騒動とは、米の流通量の減少や価格高騰によって民衆が米を入手しづらくなる事が要因となって起こる、騒ぎの事です。
1918年のこの日、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなりました。
米の需要拡大に生産が追いつかなかったことや、米の輸入が自由化されなかったこと等により米価が急騰しました。
また、民本主義の普及に伴って反政府的気分が高騰し、異常な米価の高騰をきっかけに全国的な騒動が激発しました。
魚津の運動を皮切りに富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生しました。
これが新聞で報道されると、8月10日に名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及し、騒動は9月17日まで続きました。
警察だけでは鎮圧できずに軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出しました。
米騒動の発生契機としては、凶作による米不足や米価格の暴騰が直接的な要因になる事が多いです。
戦前には、1890年、1897年、1918年と3回起こり、特に1918年の米騒動は対戦景気の最中とあって最大規模となり、単に「米騒動」といえば1918年の事件を指します。
戦後にも1993年に冷夏による米騒動が起こりました。
しかし、この米騒動は戦前に起こった3件とは異なり、暴動に発展した事例はありませんでした。
1993年に起きた事件は「平成の米騒動」と呼ばれています。
日本における記録的な冷夏による現象で、急速に米が不足しました。
この記録的冷夏は、20世紀最大級ともいわれる1991年6月に起きたフィリピン・ピナトゥボ山の噴火が原因となって発生したとされています。
米の不足で消費者はもとより、卸売り業者までも米の確保に奔走し、店頭から米が消えるといった事態が発生し、普段は米を扱わない業者までもが、米を販売するというケースも発生しました。
この不作の対応として、日本国政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診しました。
この打診にいち早く応えたのがタイ王国政府で、自国の備蓄在庫を一掃する形で日本国政府の要請に応えています。
しかし、大量に輸入したタイ米は、日本人の嗜好や、国内の炊飯器の調理方法に適合せずに不人気でした。
新聞やテレビ等では、タイ米の本来の調理法から、国産米と同様に食べられる方法などが特集されましたが、需要を回復するまでには至りませんでした。
これにより日本国政府は国産米とタイ米をブレンドするように指導するなど、苦肉の策で対応しました。
この米騒動は1994年の6月に入り沖縄県の早場米が出回るようになって徐々に事態は沈静化、同年は暑い夏となり全国的に豊作が伝えられ、完全に収束しました。