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10月26日はサーカスの日

 

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今日は何の日?

10月26日はサーカスの日

 

1871年、東京九段の招魂社(靖国神社)で、フランスの「スリエサーカス」が日本で初めて洋風のサーカスを興行したのがこの日です。


本格的なサーカスが来日したのは1886年のチャリネ曲馬団でした。

 

 

サーカスは動物を使った芸や人間の曲芸など複数の演目で構成される見世物。
一般的に円形劇場や天幕などで催され、舞台を群集が取り巻いて見下ろす形態が取られています。


古代エジプト時代に始まり、ローマ時代にその原型がなされました。

また、近代サーカスの原点としては1770年のイギリス「アストリー・ローヤル演芸劇場」での開催とされています。

 


「サーカス」の語源はラテン語で円周・回転を意味する語であるとする説と、古代ローマにおいて人間と猛獣の格闘などに使用された円形競技場(キルクス)であるとする説があります。


現在の動物の芸や人間の曲芸が見世物として成立したのは古代エジプト時代であり、それらを円形の劇場において実施するという形態が取られ始めたのが古代ローマ時代とされています。

 

サーカスの舞台が丸いのはこのためだといわれています。

 


近代サーカスはイギリス人退役軍人のフィリップ・アストリーによって確立され、ヨーロッパからロシア・アメリカへと広がったとされています。

しかしアストリー自身は「サーカス」という用語を使っていません。


従来より見世物として確立していた動物芸、人間の曲芸に加え、アストリーは道化芸という概念を新たに取り入れています。


道化芸は19世紀初頭に活躍したパントマイム役者ジョセフ・グリマルディ、ジーン・オリオールらによって現在の喜劇中のふられ役・失敗ばかりして観客の笑いを取るというスタイルが確立され、真っ白に塗った顔にだぶついた服装というお決まりの姿で、近代サーカスでは欠かせない要素のひとつとなりました。

 


日本にはじめてサーカスが訪れたのは1864年で、「アメリカ・リズリー・サーカス」により横浜で興行がなされました。

 

それまで日本でも見世物は存在しましたが、それぞれ芸種別に一座を組んで個々に興行を行うというスタイルが一般的で様々な演目を一度に見せるというサーカスは大きな反響を呼びました。

 

2回目は1874年のフランスの「スリエサーカス」で、日本で初めて洋風のサーカスを興行しました。


3回目は1886年で、イタリアのチャリネ一座が来日します(東京での初演は秋葉原の火除け地でした)。


この公演に強い衝撃を受けた五代目尾上菊五郎は『鳴響茶利音曲馬』という猛獣使いなどが登場する歌舞伎を上演しています。


日本人のサーカスとしては、チャリネ一座から名前をとり、1899年に山本政七らによって設立された「日本チャリネ一座」が最初であるとされています。


日本チャリネ一座では馬や象、熊なども用いて曲芸や猛獣芸などを披露しました。


その後、大正末から昭和にかけて有田サーカス・木下大サーカス・シバタサーカスなどが続々と創立し、人気を博しました。


ただし、各団体が「サーカス」の呼称で名乗るようになるのは、1933年のハーゲンベック・サーカスの来日以後のことです。


1948年に児童福祉法が制定され、「公衆の娯楽を目的として曲馬または軽業を行う業務」に満15才未満の児童を使用する事が禁止されました。


これによって、年少期に芸を仕こまなければならないサーカスの手で芸の後継者を育てる事が困難となりました。


現在日本のサーカスで子供達が出演しないのはこの法によるものです。


1930年代から1960年代までは20~30団体がありましたがその後激減し、1995年には国際サーカス、1996年には矢野サーカスが活動を休止しました。


木下大サーカス、キグレサーカス、カキヌマ大サーカスの3団体を残すのみとなりましたが、同年12月にポップサーカスが旗揚げし、キグレNewサーカス・木下大サーカス・ポップサーカスが日本三大サーカスとされることとなります。


カキヌマ大サーカスは拠点を海外に移した後、破産し解散したと言われていますが、2002年頃までは国内での活動が確認されています。

 


昭和の戦後に「ボリショイ・サーカス」というCMが日本テレビ系で頻繁に打たれ(初期には東京都体育館、そのあと後楽園から東京ドームで開催)、その印象が強烈に残っている人を中心に「ボリショイ・サーカス」というサーカス団があると誤解することがありました。


しかし、これは日本の興行会社(呼び屋)がソ連のさまざまなサーカス団を呼び「ボリショイ・サーカス」という共通呼称で毎年興行を打ったためにそういった誤解が生まれたそうです(後にその興行会社が「ボリショイ・サーカス」という法人名を取得する ボリショイ・サーカス )。


ただし、その後平成になって、ロシアで既存のサーカスが「ボリショイ・モスクワ国立サーカス」と「ボリショイ・サンクトペテルブルク国立サーカス」と改名されるので、この改名に日本の興行師たちの活躍もあったかと憶測するとほほえましいものがあります。


1992年、テレビ局のタイアップでシルク・ドゥ・ソレイユが来日。再びサーカスブームが訪れます。その効果からテレビアニメカレイドスターやテレビCM鉄骨飲料などサーカスを取り上げたものが多くテレビで放送されました。


2001年、NPO法人国際サーカス村協会が運営する4年制の沢入国際サーカス学校(学校法人ではない)が日本唯一のサーカス学校として創立されます。


2010年、日本三大サーカスのひとつとされていたキグレNewサーカスが、10月19日付で事業を停止したと発表しました。