今日は何の日?
2月15日はお菓子の日
毎月15日はお菓子の日です。
特にバレンタインデーの次の日である2月15日は、一番重要視されています。
お菓子の日は、全国菓子工業組合連合会が1981年に制定しました。
お菓子の神様を祀った例大祭が15日に行われていた故事にちなんでいます。
また、全国菓子大博覧会の第一回が4月15日を中心に行われていたのが元になったという説もあります。
お菓子の神社としては、和歌山県下津町・橘本神社、兵庫県豊岡市・中嶋神社が知られています。
日本での太古のお菓子は縄文時代において、栗の実を粉状にしたものを固めて焼いたと見られる独自のクッキーが食べられていたものだそうです。
また古代の日本では果実や木の実などを総称して「くだもの」と呼んでいました。
漢字が伝来し「くだもの」に「菓子」あるいは「果子」の字があてられるようになりました。
そして、奈良時代から平安時代にかけて中国から穀類を粉にして加工する製法の食品が伝わり、これが唐菓子と呼ばれるようになります。
果実とは全く異なる加工された食品ではありますが、嗜好品としては果実同様であるとして「くだもの」と分類されたのではないかとも考えられています。
なお、加工食品としての菓子が伝来して以降、果物については「水菓子」と呼んで区別するようになりました。
続いて、室町時代から安土桃山時代にかけて茶道の隆盛に伴い、点心としての菓子が求められ始めました。
中国では肉類を用いて作られている羊羹や饅頭がもたらされましたが、日本では仏教の影響下、肉類ではなく小豆や豆類など植物性の素材に置き換えて作られるようになりました。
これが後に、和菓子の方向性を決定したとも考えられています。
一方、室町時代末から鎖国令までの間、世界は大航海時代の中にあり、南蛮菓子の輸入時代ともなっていました。
カステラ、ボーロ、金平糖、カルメラなど、日本独自の製法が工夫され和菓子として発展した菓子もあります。
茶道とともに発達した点心は京都でさらに発展し、練り羊羹や餅菓子、半生菓子から打物の干菓子まで、工芸的趣向をこらしたものになり京菓子として隆盛を極めました。
しかし江戸時代も後期になると、京菓子に対抗して江戸文化により育まれた上菓子が隆盛を見せます。
また、白砂糖は上菓子のみに用いるといった制限を逆手にとり、駄菓子と言われる黒砂糖を用いた雑菓子類も大きく発展しました。
明治維新により鎖国令が解かれると、海外からドロップ、キャンディ、チョコレート、ビスケットなどが輸入されるようになり、日本の菓子は革命とも言える大転機を迎えることになりました。
大航海時代からの経済発展により完成の域に達したフランス菓子などが伝えられる一方で、産業革命により機械化効率化した菓子製造法まで一気に伝来し、日本の「洋菓子」として幅広い発展を見ることとなりました。
10年ほどの間「菓子税」という国税がありましたが、1896年の営業税の国税移管にともない、廃止となりました。