今日は何の日?
2月16日は寒天の日
長野県茅野商工会議所と長野県寒天加工業協同組合が制定しました。
2005年のこの日、NHKテレビ『ためしてガッテン』で寒天が取り上げられ、寒天が大ブームとなったことを記念しています。
寒天は、テングサ(天草)、オゴノリなどの紅藻類の粘液質を凍結・乾燥したものである。英語では、マレー語からの借用によりagar-agar(アガーアガー)、または短縮してagarと呼びます。
乾燥寒天を冷水に浸し沸騰させて炭水化物鎖を溶かし、他の物質を加えて漉し、38℃以下に冷ますことによって固めます。
寒天はゼラチンよりも低い、1%以下の濃度でもゲル化が起こります。一度固まった寒天ゲルは85℃以上にならないと溶けないため、温度変化に強く口の中でとろけることがありません。
日本国内の流通量では2000年以降、工業的に製造された輸入品の数量が従来製法を含む国産品を上回っています。
食用のゲル(ゼリー)の材料という点では、牛や豚から作られるゼラチンに似ていますが、化学的には異なる物質です。
江戸時代初期の1685年、山城国紀伊郡伏見御駕籠町(現・京都府京都市伏見区御駕籠町)において旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が、戸外に捨てたトコロテンが凍結し、日中は融け、日を経た乾物を発見しました。これでトコロテンをつくったところ、前よりも美しく海藻臭さが無いものができました。
これを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励されました。
同時に名前を尋ねられましたが、まだ決めていなかったためその旨伝えると、隠元は「寒空」や「冬の空」を意味する漢語の寒天に寒晒心太(かんざらしところてん)の意味を込めて、寒天と命名したといいます。
その後、摂津国島上郡原村字城山(現・大阪府高槻市原)の宮田半兵衛が製法を改良し寒天製造を広めます。
1798年には寒暖差の大きい島上郡・島下郡・能勢郡の18ヶ村による北摂三郡寒天株仲間が結成されており、農閑期の余業として寒天製造が行われました。
寒天製造は隣接する丹波国にも伝播し、丹波国へ行商に来ていた信濃国諏訪郡穴山村(現・長野県茅野市玉川)の行商人・小林粂左衛門が、1844年に諏訪地方の農家の副業として寒天製造を広め、角寒天として定着しました。
1881年、ロベルト・コッホが寒天培地による細菌培養法を開発したため、寒天の国際的需要が増えました。
このため、第二次大戦前は寒天が日本の重要な輸出品でしたが、第二次世界大戦中は戦略的意味合いから輸出を禁止しました。
寒天の供給を絶たれた諸外国は自力による寒天製造を試み、自然に頼らない工業的な寒天製造法を開発しました。こうして作られたのが粉末寒天です。
第二次大戦後には日本でも工業的な製造法の研究が始まり、1970年頃には製造会社が35社にまで達しました。しかし、2004年には5社ほどにまで激減しています。
諸外国ではモロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチンで寒天が製造されています。
ほとんどは食物繊維(アガロースやアガロペクチンなどの多糖類)からできており、ヒトの消化酵素のみでは分解されません。
ただし、いくらかは、胃酸により分解しアガロオリゴ糖となり吸収され、生理的な作用をもつことが近年研究されています。
寒天の凝固作用は多糖類に由来します。このため、パイナップルやキウイフルーツなどの果物に含まれるプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)によって凝固が阻害されず、よってゼラチン(タンパク質)では凝固できないこれらの食材の擬似ゼリーとして利用されています。
菓子の材料に用いられる他、ほとんどカロリーがないこと、腸において油や糖分の吸収をさまたげることから、ダイエット食品として、また、前述のアガロオリゴ糖に着目した健康食品としても注目されています。
立方体状に裁断してあんみつの中に入れるほか、牛乳に粉末寒天を添加し、固形にした加工食品は牛乳寒あるいは牛乳羹と呼ばれます。
これは中華料理の杏仁豆腐に好んで利用されます。加賀料理「べろべろ」(富山では「鼈甲」(べっこう))のように、ショウガのきいただし汁に溶き卵を加えて固めた料理があります。 ゲル化剤にも使われ、卵を使わないプリンにも使われます。
米飯に寒天を添加して摂取したところ米飯のみと比較して食後の最大血糖値が低下し、GI値も減少が認められています。