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1月7日は七草がゆ

 

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今日は何の日?

1月7日は七草がゆ

 

お粥に春の七草のセリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)ハコベラ、ホトケノザ(田平子)、スズナ(かぶ)、スズシロ(大根)を入れて食べるのがこの日です。

 

 

七草がゆ・七草粥・七種粥とは、人日の節句(1月7日)の朝に食べられている日本の行事食です。

 

 

春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って1月7日に食べられます。


緑が少ない冬の栄養源として、ビタミンを補給する為や、正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われています。

 

この行事は、平安時代には行われていたましたが、室町時代の汁物の原型ともされています。

 

 

御伽草子の七草草子に、説話が語られています。

唐の楚国に、大しうという親孝行者がいた。両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親を嘆き悲しんだ大しうは、山に入って21日間もの苦行を行い祈願した。
「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、この秘術をぬしら親子に授ける。ついては、
毎年春のはじめに七種の草を食べること。
1月6日までに7種類の草の集めておくこと。次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩くこと。
酉の刻から芹
戌の刻から薺
亥の刻から御形
子の刻から田平子
丑の刻から仏座
寅の刻から菘
卯の刻から清白
辰の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これを煮て食べること。
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」大しうはこの教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったのですぐに山を降りて7種類の草を集め、6日の夕方から教えの通り、不思議な心持ちで夜通し草を叩いた。朝になり、東から汲んだ水で炊いて両親に食べさせたところ、たちまち若返ったのはいうまでもない。これが世に伝わり、噂を聞いた当時の帝はこの親孝行に感動して位を譲った。

すなわち、七草の由来とともに、ここでは親孝行の功徳を説いた話だったのです。

 

 

以下は、関東地方の例です。

1月6日の夜、あらかじめ用意したセリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじやお玉杓子、包丁の背などで叩いて細かくします。

 

七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン

 

明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草と塩を入れて七草粥にします。そして朝食として食べます。

 

七草粥は新年の季語とされています。

 

現在では、七草をセットした商品が、多くの八百屋など小売店にて販売されています。

 

七種の節句とはこの七草がゆを食べる行事を言います。

 

 


七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、また地方によっても食材が異なる場合があります。

 

気候や降雪の関係で七草が摘めない東北地方では、七草を使わない粥を炊きます。


山形県の村山市周辺ではゴボウ、ニンジン、こんにゃく、ずいき、油揚げなどを入れた納豆汁、七草汁を1月7日の朝食として食べます。


最上川流域では1月7日に新米の握り飯を12個作り、箕の上に乗せて柳の箸を刺して「おみ玉」として飾ります。


その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布、干し柿、栗を入れたものを「七草粥」と呼びます。


また、青森県や秋田県では1月7日に行事を行う地域は少数だそうです。


そのかわり、1月16日の小正月には、けの汁という根菜を大量に炊き込んだ精進料理を味わって祝います。

 

気候的に七草が入手できる地帯でも七草ではなく、ありあわせの青菜、さらに根菜や油揚げなど大豆製品をも含めて「7種」取りそろえる場合や、九州南部のように鶏肉を加える地方もあります。

 

調理法も白粥のみではなく、鰹節で出汁を取り醤油や味噌で味付けして「雑炊」にする地方や、四国の瀬戸内海沿岸のように「和え物」「お浸し」で七草を食べる地方、九州北部のように汁物に加工するなど、全国でバリエーションは豊富です。