こうですか?わかりません

日々の出来事や好きな事、LINEマンガにアップするマンガなど書いてます。

12月13日は正月事始め、煤払い、松迎えの日

 

 

f:id:yuru-ppo:20171213010334p:plain

 

今日は何の日?

12月13日は正月事始め、煤払い、松迎えの日

 

年神様を迎える準備を始めます。

 

正月事始め

正月事始めとは、正月を迎える準備を始めることです。


かつては旧暦12月13日、現在は新暦12月13日に行われます。


昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月に必要な木を山へ取りに行く習慣がありました。


江戸時代中期まで使われていた宣明暦では12月13日の二十八宿(中国の天文学・占星術で用いられた28の星座)は必ず「鬼」になっており、鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、正月の年神様を迎えるのに良いとして、この日が選ばれました。


その後の改暦で日付と二十八宿は同期しなくなりましたが、正月事始めの日付は12月13日のままとなりました。


なお、歳時故實大概では2月8日を神代武甕槌命魔鬼制伏出陣の日として事始、12月8日を帰陣の日として事納とする説を紹介しており、12月8日を正月の事を取り賄い始める日、2月8日を正月の事を取り賄い納める日とするのを国俗としています。


また、江戸總鹿子新増大全 七巻「江都年中行事」、歳時故實大概「二月」、俳諧歳時記「二月」、近世事物考「初編」、用捨箱「上編」の各記事では正月の事始を十二月八日、正月の事納を二月八日としています。


年年隨筆「六巻」には、江戸では十二月八日を事始としており、尾張では十二月十三日を事始としている、との記事があります。


京都祇園では、芸妓や舞妓が芸事の師匠宅やお茶屋を訪れ、あいさつをする習わしが続いています。

 

 

 煤払い

煤払いとは古くから続く日本の年中行事のことを指し、いわゆる大掃除のことです。


現在でも、神社仏閣においては煤払いと称して歳末の恒例行事となっています。


本来は旧暦の12月13日に行われていました。


これは徒弟奉公などの人々が新年に間に合うよう里帰りの旅路の時間を考慮して行われていたからです。


江戸時代には煤払いの作業後は、冬の時節と重労働を加味して滋養強壮と長寿を願って「鯨汁(クジラ汁)」が日本各地で食されたことが、数々の川柳や書物、物売りの記録から残されており、その習慣は広く一般に普及していました。

 


江戸時代(中期以降)の大掃除は、押入れの奥から出てきたり、襖の下張りなどに使われていた浮世絵や瓦版を見つけては、ついつい読みふけってしまう、といった和やかな一面もあり、商家では、煤払いが終わると誰彼構わず胴上げを行うのが慣わしとなっていました。


また、老人や病人、子供など、掃除に参加しない者は掃除を行っていない部屋に退避するか、外出して掃除の邪魔にならないようにしていました。

 

 

 松迎え

12月の13日(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこないます。


上り松、花迎、花伐、松ばやし、などともいいます。


この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となります。


門松の設置は「松の内」に入る12月13日以降ならばいつでも良いそうです。


ただし、クリスマスは避けて設置される傾向にあり、他に12月29日に飾るのは「二重苦」、さらに9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌みます。


また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされています。


松の内の1月15日まで飾るのが伝統ですが、関東の一部などでは松の内を1月7日までに短縮しており、その場合は6日の夕方や翌7日に片づける場合が多いそうです。(左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞います。左義長は1月15日の小正月が多いですが、地域や神社によって異なります)。


門松を片付けることを、松下ろし、松あがり、松払い、松引き、松送り、松納め、などといいます。


鳥総松(とぶさまつ)や留守居松といい、門松を飾ったあとの穴にその松の梢を立てる風習もあります。


門松を片付けた後の正月は、松過ぎとよびます。