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6月30日はアインシュタイン記念日

 

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今日は何の日?

6月30日はアインシュタイン記念日~!

 

1905年、アインシュタインが相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学について」をドイツの物理雑誌「アナーレン・デル・フィジーク」に提出しました。

 

当時、アインシュタインはスイス連邦特許局の無名の技師でした。

 

 

アルベルト・アインシュタインは1879年の3月14日にドイツのウルム市で生まれました。

なんとホワイトデーに生まれていたんですね。

 

彼は20世紀最大の物理学者や、現代物理学の父と呼ばれています。

しかし、生まれた時に頭の形が異様に大きかった事や、幼少の頃は5歳頃まであまり言葉を話さず、喋る言葉もスローだったため、両親は知恵遅れかもしれないと悩んだほどだったそうです。

 

アインシュタインが5歳の時、父親からコンパスを渡され、コンパスの針が動くのを見て、自然界の仕組みに対する興味を持ち始めるきっかけとなりました。

 

6歳にはヴァイオリンを習い始め、モーツァルトの曲を好んで弾いていました。

生涯バイオリンを手元から離す事は無かったそうです。

 

9歳の時にピタゴラスの定理の存在を知ったアインシュタインは、その定理の証明を寝る間も惜しんで考え続け、ついには自力で定理を証明してしまったそうです。

 

12歳の時に叔父からユークリッド幾何学の本を貰ったアインシュタインは微分学と積分学を独学で習得してしまったと言われています。

これと同じ頃、医学生だったマックス・タルメイから天文学の存在を知り、物理学にも興味を持ち始めるようになりました。

 

スイスの名門、チューリッヒ連邦工科大学の受験に失敗したアインシュタインはアーラウのキムナジウムに通う事になりました。

これは、数学と物理の得点が最高点だったために、キムナジウムに通えば翌年入学資格を得られる事になったためでした。

 

ここの学校は視覚教育に力を入れており、言語障害があったアインシュタインにとって視覚教育はよく合っていて、ここで高めた視覚能力がのちの人生に大きく影響をもたらしたといいます。

 

無事チューリッヒ連邦工科大学を卒業したアインシュタインでしたが、大学の物理学部長ハインリヒ・ウェーパーと不仲だったため大学の助手になる事が出来ませんでした。

 

家庭教師のアルバイトなどで収入を得ながら論文の執筆に取り組んでいたアインシュタインは友人のマルセル・グロスマンの父親の口利きでベルンのスイス特許庁に3級技術専門職として就職します。

ここで物理学の問題に取り組む時間がたっぷり出来たため、特許申請書類の中の様々な発明理論や数式を知る機会を得る事が出来ました。

 

26歳の時に3つの論文を発表します。

「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」そして有名な「特殊相対性理論」です。

この年はアインシュタインが3大論文を発表した「奇跡の年」と言われています。

当初、無名の特許局員が提唱した「特殊相対性理論」は理解を得られませんでしたが、マックス・プランクの支持を得たことにより、受け入れられるようになりました。

 

その11年後の37歳の時に「一般相対性理論」を発表しています。

 

 

特殊相対性理論の現象とは、「光の速度に近い速さで動くものは縮む」、「光の速度に近い速さで動くものは時間が遅く流れる」、「光の速度に近づくと質量とエネルギーが増える」、「質量とエネルギーは同じ」です。

ただし、こちらの理論は重力の影響を無視して考えた単純な理論だそうです。

 

一般相対性理論の現象とは、「重力の周りでは時間は遅く流れる」、「重力の周りでは空間が歪む」です。

こちらは、重力も加味したより一般的な理論だそうです。

 

 

う~ん、調べて書いてはみたんですが、私にはちょっと何言ってるのか分からないですって感じで・・・

特殊相対性理論はなんとなく分かるんですけど一般相対性理論はもう重力とかが入って来ちゃうともうなんか複雑・・・

これを発見したアインシュタインって本当に天才だと思います。

 

光の速さで移動し続けていれば、未来に行けるって事ですかね?

未来に行くというより、時間が遅くなっているだけだから周りの時間が速くなって、周りより長く生きられるって事?

未来に行けても過去へは戻れないのかな?

 

頭が痛くなってきたのでこのへんで。