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2月22日はネコの日

 

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今日は何の日?

2月22日はネコの日

 

「ニャン(2)ニャン(2)ニャン(2)」という猫の鳴き声の語呂合わせということで、猫の日制定委員会が1987年に制定しました。


この日に決まったのはペットフード工業会が全国の愛猫家から公募した結果です。

 

 

ネコは、狭義には食肉目ネコ科ネコ属に分類されるヨーロッパヤマネコが家畜化されたイエネコ(家猫)に対する通称です。

 

人間によくなつくため、イヌと並ぶ代表的なペットとして世界中で広く飼われています。

 

 

縄文時代には家畜としての縄文犬が存在していますが、ネコは確認されていません。


考古学的には日本列島においてネコが初めて現れるのは長崎県壱岐市勝本町の弥生時代の遺跡カラカミ遺跡より出土された、紀元前1世紀の大腿骨など12点の資料とされています。


当時の壱岐にヤマネコがいた形跡がないことや現在のイエネコの骨格と酷似しているため断定されました。


なお、弥生時代には稲作農耕の伝来に伴い大陸から家畜が導入され、ブタやニワトリなどが出現しました。

 

 

『日本釋名』では、ネズミを好むの意でネコの名となったとされ、『本草和名』では、古名を「禰古末(ネコマ)」とすることから、「鼠子(ねこ=ネズミ)待ち」の略であるとも推定されます。


他の説として「ネコ」は眠りを好むことから「寝子」、また虎に似ていることから「如虎(にょこ)」が語源という解釈もあります(言海)。


このように、蓄えられた穀物や織物用の蚕を喰うネズミを駆除する益獣として古代から農家に親しまれていたとおぼしく、ヘビ、オオカミ、キツネなどとともに、豊穣や富のシンボルとして扱われていました。

 

ただ、古代にネコが日本に定着していたという物証は乏しく、『古事記』や『日本書紀』などにもネコの記述は無く、文献に登場するのは、『日本霊異記』に、705年(慶雲2年)に豊前国(福岡県東部)の膳臣広国(かしわでのおみ ひろくに)が、死後、ネコに転生し、息子に飼われたとあるのが最初です。

 

奈良時代頃に、経典などをネズミの害から守るためのネコが中国から輸入されました。


愛玩動物としての記述が見られるのは、『枕草子』や『源氏物語』・『更級日記』・『明月記』にも登場する平安時代からで、宇多天皇の日記である『寛平御記』(889年〈寛平元年〉)2月6日条には、宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていた、という記述があります。また、現代の日本に残っている文物で、最も古い猫の絵は信貴山縁起絵巻に描かれた猫です。

 

鎌倉時代には金沢文庫が、南宋から輸入したネコによって典籍をネズミから守っていたと伝えられています。


『今昔物語』には「加賀国の蛇と蜈蚣(むかで)と争ふ島にいける人 蛇を助けて島に住みし話」における「猫の島」の話や、藤原清廉の逸話として「猫怖じの五位(猫怖じの大夫)」がみられます。


平安時代には位階を授けられたネコもおり、『枕草子』第六段「上にさぶらふ御猫」によると、一条天皇と定子は非常な愛猫家で、愛猫に「命婦のおとど」と名付け位階を与えていました。


ある日このネコが翁丸というイヌに追いかけられ天皇の懐に逃げ込み、怒った天皇は翁丸に折檻を加えさせた上で島流しにするが、翁丸はボロボロになった姿で再び朝廷に舞い戻ってきて、人々はそのけなげさに涙し天皇も深く感動したという話です。


ネコに位階を与えたのは、従五位下以上でなければ昇殿が許されないためであるとされ、「命婦のおとど」の「命婦」には「五位以上の女官」という意味があります。

 

日本に伝来してから長きにわたってネコは貴重な愛玩動物扱いであり、鼠害防止の益獣としての使用は限定され、ネコはつないで飼育する動物であったともいわれており、絵巻物等には魔除けの猿同様に紐・綱等でつながれて逃げないように飼育されているネコの様子が多数描かれています。


そのため、鼠害対策として慶長7年(1602年)には、洛中の猫の綱を解き放つことを命じる高札が出されたことが、西洞院時慶の日記である『時慶記』に記録されています。


禁制はかなりの効果があり、鼠害が激減したと言われ、御伽草紙の「猫のさうし」は、これに困った鼠が和尚に相談する内容となっていますが、同時に猫が帰ってこなくなったり、野犬に噛み殺される事例も増えたといいます。

 

一方、日本猫は元々愛玩用ではなく鼠狩りの益獣として輸入されたため、家で飼われるより外で暮らすことが多かったとの見解もあり、室町時代の幸若舞には京都で猫が自由に外を徘徊している模様が記述されています。


しかしながら江戸時代初期までネコがなかなか繁殖せず、貴重な動物として扱われていたのは後述の通りです。

 

安土桃山時代、九州南部の大名島津義弘は、文禄元年(1592年)からの文禄の役、慶長2年(1597年)からの慶長の役に猫の瞳孔で時間を知るために、7匹の猫を伴って朝鮮に渡ったとされ、生還した2匹の猫を猫神として祀る神社が鹿児島県の仙巌園にあります。

 

豊臣秀吉は猫を可愛がっており、文禄2年(1593年)10月頃に大坂城の奥にいて秀吉がことのほか可愛がっていた猫が、行方不明となりました。そこで浅野長政に頼んで、いろいろに行方を尋ねさせたことがあります。


江戸時代では、本物のネコが貴重で少なかったために、ネズミを駆除するための呪具として猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいました。


新田氏宗家で交代寄合旗本であった岩松家では岩松義寄から岩松俊純までの4代に渡って、ネズミ避けのため直筆の猫絵を下付したことで「猫絵の殿様」として知られていました。


養蚕地方ではネズミ捕りに長けたネコは、馬の5倍の値が付くほどであったと伝えられ(『甲子夜話』)、寛政年間に濃尾と勢州で鼠害が猛威を奮った際にも、ネコが大変に高値になったとの記録が残っています(水野為長『よしの冊子』)。


江戸時代には飼い猫のために「猫の蚤取り」という商売があったことを、山東京伝や滝沢馬琴も書き残しています。

 

猫絵に描かれたネコが古寺で大ネズミに襲われた主人の命を救う『猫寺』は、ネコの効用を説く猫絵師などが深く関わって流布した説話であると考えられています。


しかしネコが繁殖によって数を増やし、一般の庶民・農家にも広まっていくと同時に、ネコの穀物霊としての特質は失われていきました。


ネコが人々を病から救う薬師(くすし)になったと語る『猫薬師』に霊性が残るのみです。

 

 

世界で飼育されているネコの数に関しては、イギリスやアメリカではイヌとネコの飼育頭数はほぼ同じであり、アメリカでは30%以上、ヨーロッパでは24%以上の家庭でネコが飼育されており、この数字はなおも増加傾向にあります。


昭和57年に実施された世論調査では、約半数がネコが嫌いであるとの結果が得られた日本では、平成24年の調査で10.2%の家庭で、970万頭ほどのネコが飼育されています。

 

ネコ好きな人間がいる一方、東京都では24.1%の市民が猫が嫌いであるという統計が得られています。


その主な理由として野良猫の、糞尿、発情期の鳴き声、庭への侵入およびペットや器物への被害等があります。


東京都では猫による何らかの被害・迷惑を受けたことがあると回答した人は約8割に及んでいます。


また、発情期のネコの鳴き声は人間の幼児が泣く声と非常に似ているため不快に感じる人もいます。

 

 

2010年代に入り、日本では和歌山電鉄貴志駅の名物三毛猫、たま駅長が火付け役となり、空前の猫ブームが巻き起こりました。たま駅長の経済効果だけで年間11億円にも上りました。


2012年から2016年の4年間で飼い猫の頭数が30万匹増え987万匹となり、いずれ飼い犬の頭数を抜くことが予想され、猫の餌代や特集本や猫グッズの売上など、経済効果は関西大学のの宮本勝浩名誉教授によると2015年で2兆3162億円と試算されました。


この風潮を安倍晋三が唱えたアベノミクスになぞらえ「ネコノミクス」との造語が マスメディアを中心に使われ始めました。


2月22日の「猫の日」には全国で様々なイベントが好評を博しました。猫に関するSNSサイトなどの急増もブームを後押ししました。