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2月4日はぷよの日

 

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今日は何の日?

2月4日はぷよの日

 

セガが同社のゲームソフト「ぷよぷよ」のPRの為に制定しました。
「ぷ(2)よ(4)」の語呂合せです。
セガが日本記念日協会から認定された記念日です。
かつては毎月24日を「ぷよの日」として宣伝していたこともありました。

 

 

『ぷよぷよ』(Puyo Puyo)は、株式会社コンパイルが発売した落ち物パズルゲームのシリーズです。


また、このシリーズにブロックとして登場するスライムタイプのモンスターの名前でもあります。どちらも縮めて「ぷよ」と呼ばれています。

 

1998年3月にコンパイルが経営破綻により和議申請を行った際、『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権がセガ(後のセガホールディングス)に売却され、2002年9月以降はコンパイルからの販売が終了し、その後はすべてセガグループ各社(セガゲームス、セガ・インタラクティブ)が販売を行っています。

 

 

『テトリス』の登場により空前の落ち物パズルゲームブームとなり、1980年代末から1990年代初頭に掛けて各社から二匹目のドジョウを狙った多くの亜流作品のパズルゲームが登場しました。


『ぷよぷよ』もまた、そのような時代に生まれたパズルゲームの一つです。

 

ディレクター&サウンド担当の塚本雅信及びデザイナーの森田健吾は当時『DiscStation』に掲載されたユーザー投稿ゲームに着想を得て、ドミノの牌が降ってきて、同じ数字や連番になるように積む『どーみのす』というゲームを開発していましたが、遊べる段階まで実際に作ってみたところ全く面白くなかったため、作り直すことになりました。


その際コンピュータRPG『魔導物語』のスタッフ(初代開発者である田中貢がプロジェクトの合間に遊びで作っていたものを元に、米光一成を中心としたチーム)が関わり、落下するブロックを『魔導物語』に登場するぷよぷよに置き換え、それに伴いルールも一新した別のゲームに作り変える形で開発しました。

 

最初に世に出たのは、1991年10月25日に同時に発売されたMSX2版とファミコン ディスクシステム版(発売は徳間書店インターメディア)です。


この時点では、雑誌「マイコンBASICマガジン」上で記事を執筆していたライターの手塚一郎が対人戦の面白さを大いに評価していたものの、大きな話題を呼ぶことはなりませんでした。

 

当時ぷよぷよ以前の落ち物パズルには面クリアがなく、難易度が徐々に上昇する中でどれだけミスをしないで長時間続けられるかを競う「自分自身との戦い」の要素が大きいものでした。


実際に当初セガからはアーケード版の開発に当たって、「1Pプレイをエンドレス形式にしよう」と提案され、それでロケテストに望んだが成績が振るわなかったためコンパイル社長の仁井谷正充が「ひとりでぷよぷよ」を提案したところ、テストの評判が良く採用されることになりました。


その後、画面とサウンドを強化し、モードや操作性などに大幅な改良を加え、対戦モード「ひとりでぷよぷよ(対コンピュータ戦)」「ふたりでぷよぷよ(対人戦)」をメインにしたアーケード版が1992年10月に、メガドライブ版が1992年12月18日に発売されました(ともに発売はセガ)。

 

これにより本作ではCPUの操るキャラクターや他のプレイヤーという「対戦相手との戦い」がテーマとなり、ゲームセンター等で対人対戦が大いに盛り上がることとなりました。


また、可愛らしいキャラクターたちが受けたのか、女性プレイヤーも多かったそうです。

 

また、50-60代という比較的高齢のプレイヤーも少なくありませんでした。

 

この他、本作が当時斬新だった点として「連鎖ボイス」が挙げられます。


これは、『魔導物語』に搭載されていた(当時のRPGとしては珍しい)キャラクターボイスを引き継いだものとなっています。


制作元がセガに移った後の作品にも、非常に大きな連鎖をしたときに「ば・ば・ば・ばよえ〜ん!!」と声が重なる演出が存在しますが、これも『魔導物語』に登場する魔力倍加魔法「ダイアキュート」が元になっています(倍率が上がるごとに重なる回数が増えていきます)。


なお、『魔導物語』から継承した点としてキャラクターと連鎖ボイスが有名ですが、それ以外にもBGMやフィールドを囲っている枠、状況に応じたキャラクターの表情変化などにも『魔導物語』に通じる意匠が散見されます。

 

このようにして、アーケード用の対戦型格闘ゲームにより一般化していた「対戦プレイ」の要素を落ち物パズルに持ち込んだ本作は老若男女から支持され大ブームとなり、瞬く間に『テトリス』と並ぶ落ち物パズルゲームの代名詞となります。


後に続編や移植作・番外編などを含め、多くの作品が発売されることになります。

 

 

本作の大ヒットまでのコンパイルは『魔導物語』や『アレスタ』などの佳作で知られる小規模なソフトハウスでした。


同社社長であった仁井谷正充は『ぷよぷよ』の空前の大ヒットを背景に倍々ゲームを超える勢いで経営拡大を繰り広げ、一時は広島を代表するソフトハウスにまで発展しましたが、1998年3月に和議申請に追い込まれて経営破綻。


結果として、債務圧縮・経営再建の一環として、セガに『ぷよぷよ』シリーズ全体の知的財産権が売却されました。


そして、2002年8月末日まではセガからの権利許諾のもと、コンパイルが『ぷよぷよ』シリーズを継続して販売する、という措置がとられました。

 

しかし、結局コンパイルは経営再建に失敗して解散し、既にセガに移っていた『ぷよぷよ』を除く旧コンパイル作品の権利はアイキに譲渡され、その後2005年11月にD4エンタープライズがアイキから旧コンパイル作品の権利を引き継いで現在に至っています(かつて権利を保有していたアイキは2007年に破産廃止)。


そのため、旧コンパイル作品のキャラクターのうち、過去の『ぷよぷよ』シリーズに一度でも登場したキャラクターはセガ、それ以外のキャラクターはD4エンタープライズに権利があります。


この経緯により、『魔導物語』と『ぷよぷよ』は同一の世界観の作品ではあるものの、両方に登場したキャラクターと、『魔導物語』にしか登場していないキャラクターとでは権利者が異なるという複雑な状況になっています。

 

 

1998年3月に『ぷよぷよ』の商標権を受け継いだセガは、2000年末まで『ぷよぷよ』シリーズの製作をコンパイルに一任していましたが、2001年4月4日にはセガからも独自に製作したiモード版『ぷよぷよ』の配信を開始、さらに2001年10月18日にはゲーム機用にも『みんなでぷよぷよ』を発売し、コンパイルによる販売が終了した2002年9月以降は『ぷよぷよ』シリーズの新作の開発や旧作の移植・リメイクをすべてセガが行っています。


2004年1月1日に日本記念日協会より毎年2月4日を「ぷよの日」として認定されましたが、それ以前から『フィーバー』発売記念として毎月24日を「ぷよの日」だとしていました。


さらに遡ると、コンパイル時代から毎月24日を「ぷよの日」として「ぷよの日饅頭」(ぷよまんの餡を変り種にする)を販売するイベントを行なっていました。

 

『ぷよぷよ』シリーズ全体の全権利は、2015年4月1日に実施されたセガグループ再編に伴い、知的財産権・商標権・営業権はセガホールディングスが、開発・製造・販売はセガゲームス並びにセガ・インタラクティブがそれぞれ承継しました。