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1月22日はカレーの日

 

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今日は何の日?

1月22日はカレーの日

 

1982年、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されました。

 

 

カレーは、多種類の香辛料を併用して食材を味付けするというインド料理の特徴的な調理法を用いた料理に対する英語名です。


転じて、それを元にしたヨーロッパ系の料理や、同様に多種の香辛料を併用して味付けされる東南アジアなどの料理も指します。

 

インド系、東南アジア系、洋食系の何れも現在では国際的に人気のある料理のひとつとなり、ヨーロッパや北米、中南米、アフリカ、オセアニアなど、世界中でカレー文化が根付いていることが確認されています。

 

 

日本では、明治時代に当時インド亜大陸の殆どを統治していたイギリスから、イギリス料理として伝わりました。


それを元に改良されたカレーライス(ライスカレーとも)は洋食として普及しています。

 

インドのカレーよりとろみが強くなっているのは、イギリス海軍のメニューに採用されたとき、船の揺れに対応するためだったという説があります。


また、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたからという説もあり、イギリスのクロス・アンド・ブラックウェル社により生産されたカレー粉がフランスに渡り、フランス料理のカリー・オ・リ(フランス語: curry au riz、すなわちカレーライス)の名の西洋料理になったともいわれています。

 

 

日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は福沢諭吉の「増訂華英通語」で、「Curry コルリ」という表記があります。

 

カレーライスの調理法を初めて記載したのは、1872年出版の『西洋料理指南』(敬学堂主人)です。


食材として「ネギ・ショウガ・ニンニク・バター・エビ・タイ・カキ・鶏・アカガエル・小麦粉・カレー粉」を挙げています。


同書はインドのチャツネも掲載していますが、カレーとは結び付けられていません。


また、同じ年に出た『西洋料理通』(仮名垣魯文)は、「牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉」を挙げています。

 

小菅桂子は、材料に蛙肉が入っているところから、フランス料理の要素が取り入れられた可能性を指摘しています。


しかし蛙肉を使ったレシピはあまり普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にはほぼタマネギに置き替わりました。


現在、カレーの具として普及しているジャガイモ・ニンジン・タマネギは、明治のはじめにはまだ珍しい「西洋野菜」でしたが、開拓地の北海道を中心に徐々に生産が広がりました。


国産の安価なカレー粉が登場したこともあいまって、大正時代の頃に現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられます。

 

1905年、大阪道修町の薬種問屋の主人2代目今村弥兵衛が国産初のカレー「蜂カレー」を発売しました。

 

1906年、東京・神田の「一貫堂」から、初めての即席カレーといわれる「カレーライスのたね」が発売されました。


その内容は不明ですが、肉やカレー粉の固形化されたものであり熱湯を注げばカレーとなるものとされています。


さらに1914年には、東京・日本橋の「岡本商店」から「ロンドン土産即席カレー」という即席商品が発売されています。

 

1926年に大阪ハウス食品が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売しました。


1945年11月、オリエンタルが、カレーが家庭料理に普及しつつある事に着目し、当時、カレーと言えば、炒めた小麦粉にカレー粉を混ぜるなど大変手間が掛かる事から、「その手間を省き、調理を簡単に出来れば売れる」と考え、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のインスタントカレーであるオリエンタル即席カレーを完成させました。

 

固形製品は、1954年にエスビー食品が初めて発売しました。


昭和30年代からテレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり、「即席カレー」の生産と消費が急増しました。


1960年江崎グリコが板チョコの生産技術を生かし、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチカレーを発売。


現在の日本の家庭では、「インスタント・カレールウ」を使って調理する事がほとんどです。

 

 

明治時代初期においてカレーライスは、限られたレストランで食することが可能な高額のハイカラ料理でした。


鹿鳴館時代に神田の「丸久」という店では九銭だったといいます(同店ではコーヒーが一銭五厘でした)。

 

1903年、道修町の薬種問屋「今村弥兵衛」(現・ハチ食品)から即席カレー粉が発売され、近隣の店に使用されました。

 

明治時代後期頃までは西洋料理店がカレーライスの主な媒介的存在となっていましたが、明治時代末期より食堂のメニューにライスカレー・カレーうどん・カレーそばが出るようになってから次第に大衆化されていきました。

 

1910年、大阪・難波新地に、西洋料理店・「自由軒」が開業しました。


1940年、織田作之助が小説『夫婦善哉』でこの店の「混ぜカレー」(または「名物カレー」)を紹介して有名になりました。


当時の店主が「ご飯は冷めても、熱いカレーと混ぜることで、熱々のカレーになる」「どっちみちご飯とカレーを混ぜるのやったら、はじめから混ぜといて、熱々をたべていただくのがよろし‥」との考えから、カレーソースとライスをあらかじめ混ぜる提供方法にし、中心に生卵を載せて出されます。


ウスターソースをたっぷり掛けて食べることが勧められています。

 

大正時代後期(関東大震災後)には、東京庶民が気軽に利用してきた外食店の蕎麦屋が、カレー南蛮やカレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、また和・洋・中となんでも扱う大衆レストランでも、比較的安価な洋食として、人気メニューとなりました。

 

1927年、東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出しました。


日本で初めての本格的な「インドカレー」で、高値にもかかわらず1日300食を売り上げたといいます。

 

1929年、大阪・梅田に開業した阪急百貨店大食堂のライスカレー(20銭)は、比較的低価格で本格的なカレーが味わえるということで人気を集めました。


また、ライスカレーを食べる余裕のない客が白飯のみを注文し、卓上のソースをかけて洋風な気分だけを楽しむ「ソーライ」(ソースライスの略)という食べ方も流行しました。

 

 

日本におけるインド人による初の本格的なインド料理店は、1949年にA.M.ナイルが東京銀座で開店した「ナイルレストラン」です。


続いて1954年にジャヤ・ムールティが東京阿佐ヶ谷に「アジャンタ」を開店しています。


A.M.ナイルの息子G. M. ナイルはナイルレストランを引き継ぎ、そのキャラクターが買われて芸能人としてもメディアで活躍しました。

 

一方「欧風カレー」は、1973年創業のカレー専門店「ボンディ」の創業者である村田紘一によって名付けられた物です。


和風のもっちりとした米飯にフィットするルウを追及し、ブイヨンなどの欧風だしの研究を重ねていた日本において、村田はフランスで学んだデミグラスソースを中心においたカレーを研究し、現在より40年前に初めて“欧風カレー”の名を他店に先駆けてメニューに加えました。


そして、彼の名づけた「欧風カレー」は我が国の料理界を席捲しました。