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11月28日は太平洋記念日

 

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今日は何の日?

11月28日は太平洋記念日

 

Pacific Ocean(平和な・穏やかな大洋=「太平洋」)と名付けたのはポルトガルの航海者マゼランです。


1520年、彼がマゼラン海峡を通過して太平洋に出たのがこの日とされています。

そのとき、天候がよく平和な日が続いたために命名したといいます。

 

 

太平洋は、アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる、世界最大の海洋。


大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられます。日本列島も太平洋の周縁部に位置します。

 

 

太平洋は地球表面のおよそ3分の1を占め、その面積はおよそ1億7970万平方キロメートルです。


これは世界の海の総面積の46%を占め、また地球のすべての陸地を足したよりも広い面積です。また、日本列島のおよそ473倍の面積です。


北極のベーリング海から南極海の北端である南緯60度(古い定義では南極大陸のロス海まででした)まで、およそ1万5500キロメートルあります。


太平洋は北緯5度ぐらい、つまりおおよそインドネシアからコロンビアとペルーの海岸線までの辺りで東西方向の幅が一番大きいおよそ1万9800キロメートルになります。


これは地球の半周とほぼ同じ長さで、地球の衛星である月の直径の5倍以上の長さです。


また、現在分かっているうちで地球上で一番深いところであるマリアナ海溝は太平洋にあり、その深さは海面下1万911メートルです。


太平洋の平均深度は4028メートルから4188メートルあります。


太平洋には2万5000もの島があります。これは、太平洋以外の海にある島をすべて合計した数よりも多いです。


大部分は赤道より南にあります。部分的に沈んでいる島も含めて、その数は継続的に多くなっています。

 


太平洋は現在プレートテクトニクスによって、長さにして1年におよそ2から3センチずつ狭まっており、面積にして1年におよそ0.5平方キロメートルずつ狭まっています。その一方で大西洋は広がっています。


太平洋の西側のへりには不揃いな海が多くあります。大きいものとしてはセレベス海、サンゴ海、東シナ海、南シナ海、フィリピン海、日本海、スールー海、タスマン海、黄海などがあります。


太平洋は、西部にあるマラッカ海峡でインド洋 とつながり、東南部にあるドレーク海峡およびマゼラン海峡で大西洋とつながり、北部のベーリング海峡で北極海とつながります。


太平洋は、ほぼ中央を通る180度経線を境に西半球と東半球とに分けられています。


東半球にある部分を西太平洋といい、西半球にある部分を東太平洋といいます。


80度経線は基本的には日付変更線と可能な限り同一になるように定められており、両者が異なる場合も海上を通るように設定されているため、太平洋は中央部で日付変更線に分断される形となっており、東西で日付が1日違います。


マゼランがマゼラン海峡からフィリピンまで航海した時、その旅程の殆どは実に穏やかでした。


しかし、太平洋は常に穏やかなわけではありません。多くの熱帯低気圧が太平洋の島を襲います。


環太平洋地域には火山が多いです。また地震もよく起こり、それに伴ってしばしば津波も発生し、多くの街や島を破壊してきました。

 

 

太平洋という名称は探検家のフェルディナンド・マゼランが、1520年 - 1521年に、世界一周の航海の途上でマゼラン海峡を抜けて太平洋に入った時に、荒れ狂う大西洋と比べたその穏やかさに、"Mar Pacifico" (平和な海)と表現したことに由来します。


またマゼランは太平洋に入りセブ島まで、太平洋を横断する間に暴風に遭わなかったためにこのように名付けたともいいます。


従って、日本語の「太平洋」(太平/泰平な洋)は、この "Mar Pacifico" をほぼ忠実に訳した言葉です。

 


ポリネシア人の移住
有史以前、すでに太平洋の沿岸地域には人類が居住していました。


しかし、太平洋中央部に点在する島々へと人々が移住するようになったのは、紀元前1500年ごろにニューギニアに居住していたラピタ人たちが、島伝いに沖へと乗り出していったものがはじまりと推測されています。

 

彼らはまずニューギニアから近いメラネシアへと進出し、ビスマーク諸島には紀元前1300年、バヌアツには紀元前1000年、フィジーには紀元前900年、トンガには紀元前850年に到達しました。


この第一期の移住の波は、サモアでいったん停止しました。


その数百年後、サモアやフィジー、トンガといったポリネシア西部の島々から第二期の移住の波が起こり、ニュージーランド(アオテアロア)、マルケサス諸島、タヒチ、イースター島、ハワイなど残りの島々にすべて植民し、ヨーロッパ人が太平洋に到達する数百年前には、すでにポリネシア人は太平洋の隅々まで植民を終えていました。

 

 

ヨーロッパ人の到来
16世紀初頭、ヨーロッパ人が太平洋に到達しました。


最初に太平洋に到達したヨーロッパ人は、1513年にパナマ地峡を渡ったバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアです。


彼はMar del Sur (南の海という意味)と名付けました。


この名がついたのは、バルボアが渡ったパナマ地峡は南北に短く、北岸のカリブ海側から南岸の太平洋側に到達したからです。


そしてその後、ポルトガル人の探検家、フェルディナンド・マゼランが1519年から1521年の間に世界一周の過程で太平洋を航海するとき、航海の最中ずっと海が穏やかだったため、マゼランは太平洋を平和な、または太平な、という意味で "Pacífico" または "Pacific" とよびました。


しかしマゼラン本人は1521年にフィリピンで死んでしまい、スペイン人航海士、フアン・セバスティアン・エルカーノが一隊を連れてインド洋を超え喜望峰をまわり、1522年にスペインへ帰国し世界一周を成し遂げました。


1525年から1527年にかけては、ポルトガル人の探検隊がカロリン諸島とニューギニア島に到達しました。


1564年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ率いるスペインの探検隊がメキシコからフィリピン諸島とマリアナ諸島へ海を渡りました。


16世紀のその後、スペインの影響は最も大きいものでした。スペインはメキシコとペルーから太平洋を越えてグアムを経由しフィリピンまで航行する、スペイン領東インドを作りました。


マニラ・ガレオンは250年間、マニラとアカプルコと結んだ。これは歴史上最も長い交易路の一つです。


スペインの探検により南太平洋のツバル、マルキーズ諸島、ソロモン諸島が見つかりました。


テラ・アウストラリスを捜す探検の中で、スペイン人の探検家たちは17世紀に南太平洋のピトケアン諸島とバヌアツ諸島を発見しました。


オランダ人探検家たちも南アフリカをまわり、発見と交易にかかわりました。


アベル・タスマンは1642年にタスマニア島とニュージーランドを発見しました。


18世紀にはいると、ロシア人がアラスカとアリューシャン列島の大規模な探検をおこないました。


スペインは北西太平洋へも探検家を送り、カナダおよびアラスカ南部のバンクーバー島まで達しました。


フランス人はポリネシアを探検し、植民しました。


イギリスはジェームズ・クックらを3回航海させ、南太平洋やオーストラリアやハワイや北米の太平洋岸北西部へ行かせました。


このクックの航海により、太平洋中央部の島々のかなりが発見されました。


19世紀中拡大した帝国主義により、太平洋の大部分がヨーロッパの列強に占領され、次にアメリカ合衆国と日本に占領されました。


1830年代にチャールズ・ダーウィンをのせ航海したビーグル号や1870年代に航海したチャレンジャー号(チャレンジャー号探検航海)などによって多くの海洋学的知識がもたらされました。


アメリカ合衆国はパリ条約によってグアムとフィリピンをスペインから1898年に得ましたが、その後日本が西太平洋のほとんどを1914年に、そして他の島を太平洋戦争中に占領しました。


しかし敗戦とともにアメリカ海軍の太平洋艦隊が太平洋を事実上占領しました。


第二次世界大戦の後、太平洋の多くの植民地が独立国家になりました。