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10月22日はパラシュートの日

 

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今日は何の日?

10月22日はパラシュートの日

 

1797年のこの日、フランス人アンドレ・ジャック・ガルネランがパリ公園の上空、高度900メートルの気球から飛び降りました。


直径7メートル、数十本の骨組みにカンバスが張られた傘のようなものを着け、世界初のパラシュート降下をしたといわれています。

 

 

 パラシュートは、傘のような形状で空気の力を受けて速度を制御するものです。
この言葉はイタリア語の「守る」 (parare) とフランス語の「落ちる」 (chute) を組み合わせた造語で、落下傘(らっかさん)という和訳語も存在します。

 


パラシュートは、飛行する航空機からの脱出や地上・海上施設への降下、スカイダイビングの最終行程などに使用されます。


初期のパラシュートは絹製で、これは湿ると重くなる上に、開かない事故がよく起こりました。現在はナイロンなどの化学繊維製で作られています。

 

また、パラシュートの古典的なマッシュルーム型は、その形状からキャノピーが潰れにくく安定している代わりに、コントロール性は劣ります。


特に着地時の衝撃が建物の2階からパラシュートなしで土の地面に飛び降りたときとほぼ同じ衝撃が来るため、受身を取るような着地をしないとケガをしてしまいます。

 


エアスポーツで定番となったラムエアータイプのパラシュートは、断面が翼のようになっていて、滑空性能やコントロール性に優れますが、前述のマッシュルーム型と比較すると、キャノピーが潰れやすいという特性があります。


ドラッグレースやスペースシャトル、戦闘機の減速などにも同様の形状のものが用いられていますが、これらは減速のみに用いるため、ドラッグシュートと呼ばれます。


ドローグシュートという小型の傘は、メインパラシュートの展開前の姿勢制御と、予備減速と、メインパラシュートを収納部から引き出すために使われます。

 


日本では航空法第90条で、「国土交通大臣の許可を受けた者でなければ、航空機から落下さんで降下してはならない。」と定められています。

 


コストや重量制限、安全性の問題から民間旅客機にはパラシュートが装備されていないことが一般的です。


戦闘機には射出座席が備えられていることが多いため、実際にパラシュート降下を行うのは大型機の搭乗員ですが、軍のパイロットは必須の訓練となっています。


ただし訓練のため飛行機から降下するのはコストがかかり初心者には難しいため、櫓から飛び降りる模擬訓練が行われています。


現代ではバーチャルリアリティを利用した訓練装置も開発されているそうです。

 


パラシュートと類似した道具については中世から、いくつかの記録が残っています。


852年にアンダルシアのアルメン・フィルマンがスペインのコルドバの塔から、木枠で補強した外套を使って飛び降り、軽傷だけで無事着地したといいます。


1178年にあるムスリムがコンスタンティノープルの塔から同じように飛び降りたとしていますが、重傷を負い、そのケガが元で亡くなっています。

 


レオナルド・ダ・ヴィンチが1485年ごろにミラノで書き留めたパラシュートのスケッチが残っており、パラシュートを発明したとする説が有力です。


しかし、歴史家のリン・タウンゼンド・ホワイト・ジュニアによると1470年ごろにイタリアで無名の人物によって書かれたと推定される書類に2つのパラシュートの図面が残されており、そのうちの1つはダ・ヴィンチのそれに類似しています。


1617年にヴェネツィアでクロアチア人の発明家、ファウスト・ヴランチッチが、ダ・ヴィンチのパラシュートを作成し、実験を行っています。


その後、必要性がなかったため長らく忘れ去られていましたが、1783年にフランス人のルノルマンがパラシュートを再発明し、彼の手によってパラシュートという名前が提案され、定着することとなります。

 


2年後の1785年、ブランシャールがパラシュートを使えば、熱気球から安全に飛び降りられることを実験で証明しました。


実験は犬を使って行われましたが1793年にブランシャール本人が搭乗していた熱気球が破裂した際に、実際に自分で試すことになり、無事脱出に成功しています。


しかしながら、この頃のパラシュートは木枠の上にリンネルを張ったものが使われており、重くかさばり、実用性に乏しいものでした。


また気球も墜落の際に重航空機のように急落下する例は少なく、徐々に高度を落としていく場合がほとんどであり、パラシュートが必要な機会は多くありませんでした。


1790年代にブランシャールはより軽く強靭な絹布で試作を始めました。


1797年にガルヌランが新しい絹製のパラシュートで降下を行っています。


また、ガルヌランは、パラシュートに排気弁を取り付け安定した降下を行えるよう再設計しています。

 


1911年グレープ・コテルニコフが背負い型のパラシュートを発明しました。


ヘルマン・ラテマンとケーテ・パオルスは気球からのジャンプをおこないました。


この実験に触発されたのが、ベンジャミン・フランクリンです。


彼は、パラシュートの軍事利用を思いつき、「1万人の兵士が空から降下してきたら、相当な驚異になるはずだ。」と提言しました。


1912年3月1日、アメリカ陸軍の大尉、アルバート・ベリーがミズーリ州上空で初めて飛行機からのパラシュートを使用しての降下を行っています。


1913年にスロバキア人のステファン・バニッチが初めて近代的なパラシュートの特許を取得しています。

 


1922年10月20日、アメリカ陸軍航空隊のパイロット、ハロルド・ロス・ハリス中尉のローニング戦闘機がオハイオ州上空で補助翼の急激な操作により空中分解を起こしました。


高度 800 m で空中に投げだされた中尉はアービング式手動開傘式パラシュートで無事に生還し、これがアメリカ初のパラシュートによる非常脱出、世界初の重航空機からのパラシュート脱出となりました。


当時、各国のパイロット達はパラシュートの携行を嫌っていましたが、この事故をきっかけに認識が変わり、翌年にはアメリカ陸軍航空隊において飛行機に搭乗する際のパラシュートの携行が義務付けられました。

 


なお、日本でのパラシュートでの降下第一号は、空中分解事故で1928年6月に三菱IMF2試作機から脱出した中尾純利です。