今日は何の日
10月10日は銭湯の日
「1010」を「せんとう」と読みます。
東京・江東区の公衆浴場商業協同組合が1991年に銭湯の日を実施しました。
その後、1996年に東京都公衆浴場業衛生同業組合がこの日を記念日に制定。
その後、特別入浴デーとして全国に広まりました。
銭湯は高い煙突がシンボルの一つとなっていて、銭湯によっては温泉を利用している場合もあります。
大規模な銭湯などではスーパー銭湯を名乗る場合もあります。
もともと公衆浴場の業者には分類として風呂屋と湯屋があり、水蒸気に満ちた部屋に入って蒸気を浴びて汗を流す、蒸し風呂タイプの入浴法で営業している業者を風呂屋と呼び、沸かした湯を浴槽に入れ、湯を身体に掛けたり、浸かったりするタイプの入浴法で営業している業者を湯屋と区別していました。
しかし、江戸時代中頃に入浴法の発達や、兼業して営業する業者が出るようになって、喜田川守貞が書いた「守貞謾稿」(巻之二十五)の「京大坂にては風呂屋と俗に云ひ、江戸では湯屋と云ひ訛る」との記述があるように、地域によって呼び方は異なりますが風呂屋と湯屋は混同されて使用されるようになりました。
古代銭湯は、日本に仏教伝来した時、僧侶達が身を清めるため、寺院に「浴堂」が設置されました。
鎌倉時代になると一般人にも無料で開放する寺社が現れて、やがて荘園制度が崩壊すると入浴料を取るようになりました。
これが銭湯の始まりと言われています。
室町時代における京都の街中では入浴を営業とする銭湯が増えていきました。
このころ、庶民が使用する銭湯は、蒸し風呂タイプの入浴法が主流でした。
江戸における最初の銭湯は、徳川家康が江戸城に入って間もない1591年、江戸城内の銭瓶橋(現在の大手町付近に存在した橋)の近くに伊勢与一が開業したもので、当時の銭湯は蒸気浴の形式でした。
その後江戸では、浴室のなかにある小さめの湯船に膝より下を浸し、上半身は蒸気を浴びるために戸で閉め切るという、湯浴と蒸気浴の中間のような入浴法で入る戸棚風呂が登場しました。
さらにその後、湯船の手前に石榴口(ざくろぐち)という入り口が設けられた風呂が登場しました。
細工を施した石榴口によって中は湯気がもうもうと立ちこめ、暗く、湯の清濁さえ分からないようにして入浴するというものでした。
後に、客が一度使った湯を再び浴槽に入れるという構造になり、『湯屋漫歳暦』には「文政(年間)の末に流し板の間より汲溢(くみこぼ)れを取ることはじまる」との記述があります。
こうしてだんだんと薬草を炊いて蒸気を浴びる蒸し風呂から、次第に湯に浸かる湯浴みスタイルへと変化していきました。
男女別に浴槽を設定することは経営的に困難であり、老若男女が混浴でした。
浴衣のような湯浴み着を着て入浴していたとも言われています。
蒸気を逃がさないために入り口は狭く、窓も設けられなかったために場内は暗く、そのために盗難や風紀を乱すような状況も発生しました。
1791年に「男女入込禁止令」や後の天保の改革によって混浴が禁止されましたが、必ずしも守られませんでした。
江戸においては隔日もしくは時間を区切って男女を分ける試みは行われていたそうです。
1877年頃、東京都神田区連雀町の鶴沢紋左衛門が考案した「改良風呂」と呼ばれる、石榴口(ざくろぐち)を取り払って、天井が高く、湯気抜きの窓を設けた、広く開放的な風呂が評判になって、現代的な銭湯の構造が確立しました。