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2月24日は月光仮面の日

 

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今日は何の日?

2月24日は月光仮面の日

 

1958年のこの日、ラジオ東京(TBS)で国産テレビ映画ヒーローもの第1号である「月光仮面」の放映が開始されました。


翌年7月5日まで133話が放映されました。

 

白黒TVがやっと一般家庭に入ってきた時代でした。

 

 

月光仮面は、KRテレビ(現・TBSテレビ)と宣弘社が制作し、『タケダアワー』第1作として1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたテレビ冒険活劇番組、またその覆面主人公ヒーローの名。川内康範原作。

 

 

日本初のフィルム製作による国産連続テレビ映画であり、日本のヒーロー番組の元祖でもあります。時代劇と探偵活劇の要素を組み合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えています。

 

漫画化された後に実写映画化されています。その後、1972年にアニメテレビドラマ化、1981年に実写映画化、1999年にはキャラクターを転用したテレビギャグアニメ化もされました。

 

 

川内作詞、小川寛興作曲の主題歌『月光仮面は誰でしょう』(歌は近藤よし子、キング子鳩会)と共に子どもたちの圧倒的な支持を受け、平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録し、放送期間は当初の3ヶ月から大幅に延長されました。

 

放送時間には銭湯から子どもの姿が消えたといわれています。


『月光仮面は誰でしょう』のレコードは当時の子ども向け楽曲としては異例の10万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。

 

宣弘社社長の小林利雄は、当初は制作を間に合わせるのに手一杯で反響を気にしていませんでしたが、次第に手応えを実感するようになったといいます。


小林は東芝に子供たちが集まりそうな場所へ街頭テレビの設置を依頼し、これも人気を博しました。


その後、視聴者の子供たちから「(10分では)すぐに終わってしまう」との要望が殺到したことをうけ、TBSは番組枠を30分に拡大しました。

 

タカトクのお面などの関連商品もヒットしました。それらは全て無許諾商品で、当時はマーチャンダイジングという発想もなかったため、宣弘社社長の小林利雄は「ああいうのは番組の宣伝につながるわけですから、『どうぞ、どんどんやって下さい!』と応えて、お金なんかもらわなかったですよ」と述べています。

 

しかし、識者と言われる層からは評判が悪く、俗悪視され、月光仮面の真似をして子どもが高所から飛び降りて怪我または死亡する事故が続発し、新聞や週刊誌から「有害番組」だと批判を受け、1959年3月には『週刊新潮』を川内が提訴する騒ぎも起きました。


この結果、1959年7月5日をもって打ち切りになりました。最終回の視聴率は42.2%(東京地区)でした。

 

 

月光仮面は、悪人によって危機に陥った人々の前に颯爽と現れる正義の味方です。


白いターバンと覆面の上に黒いサングラスと白マフラー、白の全身タイツに黒いベルトを着け、裏地に色のついた白マントをまとい、手袋とブーツを着けています。


登場人物の私立探偵の祝 十郎(いわい じゅうろう)探偵と同じ声色をしています。


祝 十郎が姿を消すと月光仮面が現れ、月光仮面が姿を消すと祝が現れることが多いことから「月光仮面の正体」と目されることもありますが、当時のオープニングのテロップでは(月光仮面:?)、(祝十郎:大瀬康一)と表記される場合があり、祝十郎が月光仮面だとは断定されていません。


正体ともども、衣装をまとった扮装者なのか、超科学や神秘現象による変身者なのかも謎です。能力的にも生身の人間なのか超人なのか微妙なところがあります。

 

月光仮面の実際の衣装の色は白ではなく薄黄色でした。マントは表が黄色、裏地は黒でした。カラーで掲載される際や実写の着ぐるみやフィギュアではその色で塗色されています。

 

悪事のあるところへオートバイに乗って駆け付け、「月光仮面の歌」とともに颯爽と現れ、悪を蹴散らし正しい人々を救い出します。


月光仮面は自らの正義の心と身ひとつによって悪を懲らしめます。4~5mは跳び上がれる常人離れしたジャンプ力(片足跳びである)を持っており、瞬間的に他の場所に現れることが出来ます。

 

「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という理念を持ち、悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、人命は決して奪いません。
武器として2丁の自動拳銃を持っていますが、もっぱら威嚇と牽制に使い、発砲しても悪人の武器を撃ち落とすためにしか使いません。

 

ターバンの前面には三日月のシンボルを飾っていますが、これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、「今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想、「月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす」との意味が込められています。裏向きの「27日の月」が描かれている図版がありますが、誤りです。

 

 

この極めて東洋的な正義観は、原作者の川内の実家が日蓮宗の寺だったことが影響しているともいわれています。


月光仮面の発想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得られたもので、「正義の味方」という言葉自体も、「正義」そのものの神仏への脇役的位置づけを示すものであり、「決して『正義そのもの』ではない」との意味を込めることに川内がこだわったものでした。川内本人は「正義の助っ人」との表現を好んだといいます。

 

一方で川内は晩年、鈴木邦男に対し、三日月の意味を「イスラム」だと語りました。
鈴木は『何を言ってるのだろうと思った。でも、考えてみると、1960年代、「月光仮面」の次は「七色仮面」で、その次は「アラーの使者」だった。だから本当なのだ。昔から、イスラムに対する憧れがあったのだろう』と回想、推理しています。

 

月光仮面のモデルになったのは、極真空手総帥大山倍達であったとされています。


これは原作者の川内が大山に「月光仮面は大山さんをモデルとして作った」と直接話したとされ、大山がテレビ番組に出演した際に認めたことから明らかになりました。

 

月光仮面が載るオートバイは、ホンダの「ドリームC70」(2気筒250cc)を白く塗って使っていました。


なお、ヘルメット着用義務(罰則なし)が開始されたのは1965年から、現在の形での義務化は1986年であり、この当時はノーヘルやターバンでも特に問題視されませんでした。