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2月20日は歌舞伎の日

 

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今日は何の日?

2月20日は歌舞伎の日

 

1607年のこの日、出雲の阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露しました。


1603年、京都四条河原で出雲の阿国が歌舞伎踊りを始めたのが歌舞伎の発祥とされています。


四条河原では、それ以後女歌舞伎が評判となりました。

 

 

歌舞伎は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定)。

 

歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載されました。

 

 

歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれています。

 

戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言いました。

 

そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」が慶長年間(1596年 - 1615年)に京で一世を風靡し、これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっています。

 

「かぶき踊り」は主に女性が踊っていた事から、「歌舞する女」の意味で「歌舞姫」、「歌舞妃」、「歌舞妓」などの表記が用いられましたが、江戸を通じて主に用いられたのは「歌舞妓」でした。

 

現在用いられる「歌舞伎」の表記も江戸時代使われない事はありませんでしたが、一般化したのは近代になってからです。

 

なお江戸時代「歌舞伎」という名称は俗称であり、公的には「狂言」もしくは「狂言芝居」と呼ばれていました。

 

 

歌舞伎の舞台が発展し始めるのは享保年間からです。享保3年(1718年)、それまで晴天下で行われていた歌舞伎の舞台に屋根がつけられて全蓋式になります。これにより後年盛んになる宙乗りや暗闇の演出などが可能になりました。


また享保年間には花道が演技する場所として使われるようになり、「せり上げ」が使われ始め、廻り舞台もおそらくこの時期に使われ始めました。


宝暦年間の大阪では並木正三が廻り舞台を工夫し、現在のような地下で回す形にする等、舞台機構の大胆な開発と工夫がなされ、歌舞伎ならではの舞台空間を駆使した演出が行われ、これらの工夫は江戸でも取り入れられました。


こうして歌舞伎は花道によって他の演劇には見られないような二次元性(奥行き)を獲得し、迫りによって三次元性(高さ)を獲得し、廻り舞台によって場面の転換を図る高度な演劇へと進化しました。

 

作品面では趣向取り・狂言取りの手法が18世紀から本格化しました。これらは17世紀にもすでに行われていましたが、17世紀時点では特定の役者が過去に評判を得た得意芸や場面のみを再演する程度だったのが、18世紀になると先行作品全体が趣向取り・狂言取りの対象になったのです。


これは17世紀の狂言が役者の得意芸を中心に構成されていたのに対し、18世紀になると筋や演出の面白さが求められるようになった事によります。

 

またこの頃になると人形浄瑠璃からも趣向取り・狂言取りが行われるようになり義太夫狂言が誕生しました。


すなわち歌舞伎が人形浄瑠璃の影響を受けるようになりましたが、それ以前には逆に人形浄瑠璃が歌舞伎に影響を受けていた時期もあり、単純化すれば「歌舞伎→人形浄瑠璃→歌舞伎」という図式でした。

 

延享年間にはいわゆる三大歌舞伎が書かれました。これらはいずれも人形浄瑠璃から移されたもので、三大歌舞伎にあたる菅原伝授手習鑑、義経千本桜、仮名手本忠臣蔵の(人形浄瑠璃としての)初演はそれぞれ1746年、47年、48年です。

 

またそれから少しさかのぼる1731年には瀬川菊之丞 (初代)が能の道成寺にヒントを得た『無間の鐘新道成寺』で成功をおさめ、これにより舞踊の新時代の幕開きを告げました。


その後道成寺をモチーフにした舞踊がいくつも作られ、1753年には今日でも上演される『京鹿子娘道成寺』が江戸で初演されています。


なお当時の江戸は他のどの土地にも増して舞踊が好まれており、上述の『無間の鐘新道成寺』や『京鹿子娘道成寺』があたりを取ったのはいずれも江戸の地でした。

 

1759年、並木正三が『大坂神事揃』(おおさかまつりぞろえ)で「愛想尽かし」を確立。

 

これは女が諸般の事情で心ならずも男と縁を切らねばならなくなり、それを人前で宣言すると、男はそれを真に受けて怒る場面です。その後男が女を殺す場面につながる事が多いです。

 

 

歌舞伎に由来する語

  • 大向うをうならす(おおむおうを うならす) - 大向うに座る目の肥えた芝居の見物客の賞讃を博する。転じて、人々の人気を集めます。
  • 差金(さしがね) - 舞台に舞い踊る蝶・鳥・人魂などの小道具は、長い黒塗りの竿の先に差した針金にそれらを吊るし、後見や黒衣がこれを舞台上の物陰から操作しましたが、この小道具一式を差金と呼びました。そこから意味が転じて、陰で人をそそのかしたり、入れ知恵したりする者がいると思われる場合に、「あれは誰々の差金に違いない」などと言い表すようになりました。
  • 黒衣(くろご) - 表には出ないものの、なくてはならない存在。縁の下の力持ち。ただし「黒子」「くろこ」は共に誤用が定着した慣用で、正しい表記は「黒衣」読みは「くろご」。黒装束に黒頭巾を着用し、舞台上で役者の介添や小道具を操作する者のことをいいます。
  • 黒幕(くろまく) - 歌舞伎の黒幕は通常夜を表すために用いますが、人形浄瑠璃の黒幕は舞台を操る者をその陰に隠すために用います。そこから歌舞伎でも、舞台裏から影響力を行使して舞台を操る興行主・金主(投資者)・芝居茶屋などのことを「黒幕」と呼ぶようになりました。そもそも黒という色に悪の意味を絡ませるのは近代になってからの連想で、当時はむしろ御公議の「幕府」「幕閣」や大相撲の「幕内」などの語にみられるように、「幕」という語には「中に立ち入り難く、様子が見えにくい」という語感がありました。ここから「外部の者には実情がよく分からない」という意味で、今日の「政界の黒幕」のような使われ方がされるようになったと考えられています。
  • 二枚目(にまいめ)・三枚目(さんまいめ) - 一座を構成する配役の番付の上で、思慮分別をわきまえた貫禄のある役を務める立役の看板役者を「一枚目」、美男で人気が高い若衆役を務める役者を「二枚目」、面白おかしい役を務める道外方を「三枚目」に掲げていたことが語源。現代でも日常的に用いられる言葉として残っています。
  • 幕切れ(まくぎれ)・大詰(おおづめ) - それぞれの場(幕)の終わりに引き幕が閉まることを幕切れ、江戸歌舞伎の一番目の最後の幕を大詰と言った。現在でも「さしもの事件もあっけない幕切れとなった」、「ペナントレースも大詰めを迎えた今週」のように使用されます。
  • 千両役者(せんりょうやくしゃ) - 名優と呼ばれる歌舞伎役者の収入は1000両を超えたことから、転じて素晴らしく活躍した人の意味。女形では初代芳澤あやめが正徳年間(1711年 - 1715年)に、立役では二代目市川團十郎が1721年に、初の年給1000両を得たといいます。
  • 十八番(おはこ、じゅうはちばん) - 市川家が得意演目の歌舞伎十八番の台本を桐の箱に入れて保管したことが語源となっています。
  • 歌舞伎症候群(かぶきしょうこうぐん) - 常染色体優性遺伝の遺伝疾患。特有の切れ長の目が歌舞伎役者の化粧を髣髴とさせることから命名されました。