今日は何の日?
12月29日はシャンソンの日
美和明宏、岸洋子、金子由香利、そしてクロード野坂(作家の野坂昭如)などが出演し、シャンソン歌手の登竜門として知られ、文化の発祥地でもあった銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」が1990年のこの日に閉店しました。
営業40年、惜しまれながらのフィナーレでした。
銀巴里(ぎんパリ)は、1951年–1990年まで東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶店です。
「東の銀巴里、西のラ・ベル・エポック(武蔵野市吉祥寺 2009年10月31日閉店)」ともよばれました。
美輪明宏、戸川昌子、クミコ、仲マサコ、金子由香利、戸山英二、大木康子、長谷川きよしらを輩出し、三島由紀夫、なかにし礼、吉行淳之介、寺山修司、中原淳一らが集い、演出に尽力しました。
閉店日には、銀巴里の名が記されたコーヒーカップや食器類が、すべて常連客によって持ち帰られました。
現在、跡地の銀座7丁目9番11号付近に石碑が立っています。
本来、シャンソンは、フランス語で歌の意味です。
したがって、少なくとも現代のフランス語圏においては、シャンソンは歌全般を意味し、特定ジャンルの楽曲を指すものではありません。
他言語圏ではフランス語で歌われる曲という意味で使われることが多く、この場合も何らかの音楽的特徴を持つものではなく、中世の「武勲詩」や「きらきら星」、「ラ・マルセイエーズ」なども広義のシャンソンです。
そのため、歌謡曲としてシャンソンは「モダンシャンソン」、「パリジャン・シャンソン」などと呼ばれるほかシャンソン・ド・ボア(動きのないシャンソン)、シャンソン・ド・シャルム(魅惑的なシャンソン)、シャソン・ド・レアリスト(リアリスティックなシャンソン)、シャソン・ド・サンチマンタル(センチメンタルなシャンソン)、シャソン・ド・ファンタジスト(動きのあるシャンソン)といった風に、「シャンソン」という語に何らかの形容詞を付け分類します。
なおイタリア音楽のカンツォーネとは元々の語源は同じです。
中世からルネサンスにかけてのヨーロッパでは、「シャンソン」と呼ばれる歌曲が数多く作られましたが、これも単にフランス語で歌われるポリフォニーの(初期にはモノフォニーのものもありました)世俗的声楽曲を総称する名称であり、特定の形式、様式をさすものではありません。
日本においては、1960年代までに流行したフランスの歌謡曲全般をシャンソンと呼ぶ場合が多く、これらを日本語訳でカバーしたものもシャンソンに分類されます。
アメリカン・ポップスやロックの影響を受けたミッシェル・ポルナレフなどはシャンソンより新しいイメージのフレンチ・ポップスとして紹介されることが多かったそうです。
フランス語で歌われていても、例えばヒップホップなどのアメリカン・スタイルも通常シャンソンとは見なされません。
また、「ラストダンスは私に」のように、元々英語詞だったものが、フランス語の訳詞で大ヒットしたためシャンソンに分類されるようになった曲もあります。
近年、日本の楽曲にフランス語詞がつけられSACEM(日本のJASRACに相当する音楽著作権管理団体)に登録されて、シャンソンとなるケースも出て来ています。
菅原洋一(日本語詞)、グラシェラ・スサーナ(スペイン語詞)等が歌った「ラスト・リサイタル」が「ARIGATO SAYONARA」となった例と、日本人が作曲したものに、フランスで詞がつけられ、逆輸入の形で外国曲として日本語訳詞がつけられた「モネの庭」の例が代表的です。
特に後者は、モネ財団が“モネの絵”の公式イメージソングとして選定し、仏日英3言語で歌われています。
一方「群衆」のように、アルゼンチンの楽曲にフランス語詞がついてヒットしたものが、日本ではペルーの曲と紹介されたり、「百万本のバラ」や「アドロ」をフランスのシャンソンとして誤った記載がなされることも少なくありません。
かつては、レコード会社のレーベルの関係で、フランスのビッグ・アーティストでも、日本に紹介されないケースが多かったそうです。
現在は、状況が好転し、新しいフランスの楽曲や、新人歌手が次々と紹介されるようになっていきます。
日仏シャンソン協会日本支局が<シャンソン・ルネッサンス>と名付けられたこの新しいシャンソン紹介・普及活動を推進しています。
シャンソンの生演奏を楽しめるカフェをシャンソニエと呼びます。
シャンソニエではカンツォーネや、平岡精二らが作曲した和製シャンソンと呼ばれる歌謡曲も演奏されることがあります。