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12月18日は東京駅の日

 

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今日は何の日?

12月18日は東京駅の日

 

1914年12月18日、東京駅の完成式が行われました。

 

 

東京駅は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅です。

 

 

東京の表玄関とも言うべきターミナル駅で、特に東海道新幹線と東北新幹線の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点となっています。


また、東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅でもあります。


当駅から乗り換えなしで実に32都道府県と結んでおり、1日当たりの列車発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つです。


プラットホームの数は日本一多く、在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有しており、面積は東京ドーム約3.6個分に相当します。


赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されています。「関東の駅百選」認定駅でもあります。

 

 

当駅の位置は、江戸時代からの繁華街である京橋側ではなく、建設当時はまだ野原だった丸の内側に建設されました。


皇居の正面に設定され、丸の内口の中央に皇室専用貴賓出入口が造られたことから分かるように、国家の象徴的な位置付けでした。


なお、現在の行幸通りはまだ皇居前広場まで開通していませんでした。

 

駅本屋は辰野金吾と葛西萬司が設計し、埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガと鉄筋造り、3階建て総建坪9,545平方メートル・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築です。


1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、中国・青島周辺のドイツ租借地を占領した陸軍の司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行いました。


アムステルダム中央駅は当駅を建設する際のモデルになったという俗説があるが根拠は薄弱であり、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、現在ではほぼ否定されています。


南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていました。


中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていました。


中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口がありますが、これは荷物の搬入搬出口として設けられました。

 

 

当駅は1889年に神戸まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決されました。施工は大林組が担当しています。

 

日清戦争とその後の日露戦争が終わった1908年から建設工事が本格化し、1914年12月20日に開業しました。


中央停車場は皇居(宮城)の正面の原野に設定され、「東京駅」と名付けられました。

 

1919年3月1日に中央本線が、1925年11月1日に東北本線が乗り入れ、1929年12月16日には東側の八重洲口が開設するなど、徐々に発展していきました。

 

1923年には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満州国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャーリー・チャップリンの東京来訪や、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能しました。

 

しかし、太平洋戦争末期の1945年5月25日、アメリカ軍による東京大空襲では丸の内本屋の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こしました。


これによりレンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われました。

 

同年8月の終戦直後から修復体制を整えて計画を立案し、年末から1947年にかけて修復工事を行いました。


3つのドーム部分の外壁は修復しましたが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更、中央ドームは木造小屋組で元の形に復原、南北両ドームは丸型から台形に変更、軒蛇腹・パラペット・壁面・柱型・窓枠などは2階建てになっても忠実に復原、南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容でした。

 

 

できるだけ早期に本格的な建て直しをするつもりで「4、5年もてば良い」とされた修復工事でしたが、占領軍の要求で突貫で進める中でも当時の鉄道省の建築家・伊藤滋や松本延太郎たち、あるいは工事を行った大林組の日夜の努力でできるだけ日本の中央駅として恥ずかしくないデザインによる修復をした逸話が伝えられています。

 

一方、1948年11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工しましたが、翌1949年4月29日に失火で焼失してしまい、1954年10月14日に駅舎が建て替えられ、八重洲本屋が完成しました。


八重洲口はその後も順次改築されて百貨店が出店し、地下街が拡がるなど賑やかになっていきますが、丸の内側はレンガ造りのままです。

 

1964年10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年7月15日には総武地下ホーム、1990年3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始、1991年6月20日には東北新幹線が当駅に乗り入れるなど、東京駅は順次拡大してきました。

 

その後、長らく先延ばしされてきた建て替え計画は、1999年から2000年にかけて、創建当初の形態に復原する方針がまとめられ、500億円とされた復原工事の費用を丸の内地区の高層ビルへの容積率の移転という形で捻出することで、丸の内地区の高層ビル建て替え事業と並行して、東京駅の復原工事が行われることとなりました。


復原工事自体は、2007年5月30日に起工され、2012年10月1日に完成しました。