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9月16日はマッチの日

 

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今日は何の日?

9月16日はマッチの日

 

1948年、配給制だったマッチの自由販売が認められました。

 

日本では、当初マッチの小箱一個が米4升と見合う高価な輸入品でした。

 


かつてはあらゆる着火に用いられていたマッチですが、現在ではコンロやストーブなどの火を使う製品にはほぼもれなく着火装置が付き、タバコの着火用としてもライターが普及、さらに喫煙率の低下もあって、マッチの需要は大きく低下しているそうです。


なお、喫煙器具の一種であるパイプは炎が横に噴き出る専用のライターもありますが、流通が限定されるため、マッチが利用されています。


マッチ箱自体に広告を印刷することが可能であるため、安価なライターが普及した現在でも、飲食店や宿泊施設等では自店の連絡先等を入れたマッチを、サービスで客に配ることが多いです。


このような様々なマッチ箱を収集の対象とするコレクターの方もいらっしゃいます。

 

マッチは1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが塩素酸カリウムと硫化アンチモンを頭薬とする摩擦マッチを考案した。形態的には現在のマッチとほぼ同じでしたが、火付けが悪かったようです。

 

このため、1830年に、フランスのソーリアが黄燐マッチを発明しました。

 

日本のマッチは、フランスに留学していた清水誠が1875年に東京で黄燐マッチを製造したことが始まりです。


黄燐マッチは、頭薬をどんなものにこすりつけても発火するため普及しましたが、その分自然発火が起こりやすく、また黄燐がもつ毒性が問題となって、製造者の健康被害が社会問題化しました。

 

そのため、19世紀後半に黄燐マッチは禁止されてゆき、1906年、スイスのベルンで黄燐の使用禁止に関する国際会議が開かれて、黄燐使用禁止の条約が採択され、欧米各国は批准しました。

 

しかし、マッチが有力輸出商品だった日本は加盟しませんでした。


結局、1921年になってようやく日本は黄燐マッチの製造が禁止されましたが、日本における黄燐による健康被害の実態については、不透明な部分が多いです。

 

その後、赤燐を頭薬に使用し、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面をつけた赤燐マッチが登場します。

 

19世紀半ばには側面に赤燐を使用し、発火部の頭薬に塩素酸カリウムを用い、頭薬を側薬(横薬とも)にこすりつけないと発火しない安全マッチが登場しました。

アメリカでは黄燐マッチ禁止後も摩擦のみで発火するマッチの需要があり、安全マッチの頭薬の上に硫化リンを使った発火薬を塗った硫化燐マッチが今日でも用いられています。

この硫化燐マッチは強い摩擦を必要とするので、軸木が安全マッチより太く長い物が用いられるのが大半です。