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6月12日は日記の日

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今日は何の日?

6月12日は日記の日~!

 

1942年のこの日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクが日記を書き始めました。

これがあの有名な「アンネの日記」の始まりです。

この日記帳は彼女がアムステルダムの隠れ家に入る少し前、13歳の誕生日の父から贈られたものでした。

 

 

『アンネの日記』は第二次世界大戦の最中のドイツによる占領下のオランダ、アムステルダムが舞台となっています。

国家社会主義ドイツ労働者党によるユダヤ人狩りのホロコーストを避けるために、咳も出せないほど音に敏感だった隠れ家に潜んだ、8人のユダヤ人達の生活を活写したものです。

執筆は密告により、ナチス・ドイツのゲシュタポに捕まるまでのおよそ2年間の1942年6月12日から1944年8月1日まで記録されています。

 

 

 

【アンネの日記が成立するまでの経緯】

1944年8月4日の午後10時半頃、隠れ家に潜んでいた8人のユダヤ人は、何者かからの密告を受けて出勤したアムステルダム駐留の保安警官の職員達によって逮捕されました。

彼らを匿っていたヴィクトール・クーフレルとヨハンネス・クレイマンの2人も連行されてしまいます。

しかし、女性だったミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは逮捕を免れました。

 

逮捕されたユダヤ人8人の中で戦後を迎えることが出来たのは、オットー・フランクのみでした。

アンネを始めとした他のユダヤ人7人はそれぞれの移送先の強制収容所で死亡しました。

 

保安警察が去ると、ミープ・ヒースとベップ・フォスキュイルは床の上に散乱した文書をすぐに回収しました。

それらのテキストは、戦後アムステルダムに戻ったオットーに渡されます。

彼はこの文書を編集してまとめ、アンネやフランク一家をよく知る人のために私家版として配りました。

やがてこの文書の存在は広く社会に知られるようになり、周囲の声に推され、本格的な出版に踏み切る事になったのです。

初版は1947年にオランダのコンタクト社から発売されました。

 

 

 

アンネは隠れ家の事を、その形から『ヘット・アハターハウス』と名づけていて、これはオランダ語版の『日記』のタイトルになりました。

ヘット・アハターハウスとはオランダ語で『後ろの家』という意味だそうです。

 

 

『日記』は日本では1952年に文藝春秋社から皆藤幸蔵が英訳本より翻訳し、『光のほのかに - アンネの日記』のタイトルで出版されたそうです。

その後、『光のほのかに』という訳書が他に存在する事が判明し、副題だった『アンネの日記』が日本語の正題になりました。

 

現在では、同じく文藝春秋社から1994年に深町眞理子訳出のものが発売されています。

 

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